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雨の日にはジャズ [音楽]

 毎日のように雨が降って散歩にも行けないので、音楽を聴いて過ごしています。こんな機会なので、手持ちのジャズのCDを一通り聴きなおすことにしました。買った日に1回聴いてそのままになっているのが結構多いです。



 わたしがジャズを聴くようになったのは 40歳を過ぎてからです。大学生の頃はマイルス・デイヴィスが健在で、周囲からはジョン・コルトレーンとかビル・エヴァンスといった名前が聞こえていました。



 そのうちにジャズとロックの融合とか、フュージョンとか言われるようになり、関心を持つ機会が無くなりました。



 どんなきっかけでジャズを聴くようになったのかと振り返れば、ローズマリー・クルーニーという歌手がコール・ポーターの曲を唄った CDを買ったのが契機でした。それからコール・ポーターという作詞/作曲家に関心を持つようになり、エラ・フィッツジェラルドで聴いたり、トミー・フラナガンというピアニストの CDを集めたりするようになりました。



 またその頃、和田誠が村上春樹と共著で『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮社)という本を出していて、興味をひかれたり、テレビ番組でスタン・ゲッツの『people time』という最晩年の演奏が流されて魅了されたりもしました。



 今回、雨のせいで、毎日ジャズを聴き続けたのですが、やっぱり分からなかったのは、ビル・エヴァンスというピアニストです。世評は高いのですが、以前からわたしには何か取っ付きにくく、今回も4枚ほどかけてみたのですが、やっぱり退屈してしまいました。



 やっぱり、わたしにはジャズが分からないのかと気分が落ち込みましたが、それでも 30年、それなりに楽しんできたのだから、いいじゃないかと自分を納得させます。



 聴いている演奏の録音日を見ると、ほとんどが1950-60年代です。演奏者は1920年代生まれが多く、わたしにとっては”叔父さん”世代の人たちです。ジャズはわたしにとって同時代の音楽ですが、ジャズを聴くといまだにちょっと背伸びした感じになるのは、そんなせいかも知れません。






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鯉のぼり [音楽]

 5月になりましたが、少子化の影響か、近所には鯉のぼりが少なくなった気がします。わたしの父親は義太夫を習っていて、「鯉昇」という名前をもらっていました。そのせいか「のぼり」は「鯉の滝昇り」と思ってしまうのですが、「のぼり」は"幟"なのだそうです。確かにそのほうがふさわしいようです。



    「こいのぼり」

   やねよりたかい こいのぼり

   おおきいまごいは おとうさん

   ちいさいひごいは こどもたち

   おもしろそうに およいでる

          (作詞 近藤宮子 1931年頃)



 ここで、アレッと思ったのは、緋鯉が子供たちになっていることです。緋鯉はお母さんと思っていました。緋鯉がお母さんになり、青い小さな子供の鯉が付けられたのは戦後になってからだそうです。



 わたしは末っ子だったので、もう色のはげかかった鯉のぼりを、二度ほど庭のすみに揚げてもらった記憶があります。わたしのこどもたちには、鯉のぼりを泳がせるほどの庭もなく、何回かベランダに飾りました。孫たちの家ではそんな習慣も途絶えているようです。



    「鯉のぼり」

   甍(いらか)の波と雲の波

   重なる波の中空(なかぞら)を

   橘(たちばな)かおる朝風に

   高く泳ぐや鯉のぼり

      (作詞者 不詳 1913年) 



 「江戸っ子は皐月(さつき)の鯉の吹き流し 口先ばかりで 腹わたはなし」ということばがありますが、新学期が始まって一ヶ月がたち、前の道を下校する子供達の大きな話し声が聞こえてきます。子供たちには春風に泳ぐ鯉のぼりのように、元気に成長してほしいものです。  



#「だれかさんが みつけた」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2018-11-25

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唄と思い出 [音楽]

先日、テレビで「のど自慢」のグランド・チャンピオン大会というのをやっていました。毎週のチャンピオンから13人を選抜して競わせるというものです。



 さすがに皆んなチャンピオンだけあって、声も良く音程も確かでした。ただ唖然としたのは、わたしが13人の唄を1曲も(!)知らなかったことです。「のど自慢」大会で歌われる楽曲なので、それなりに流行った唄なのでしょうが、まったく聞き覚えがないので、原曲の歌手との比較もできません。



 こんなに流行歌の世界からはずれてしまっていたのか! と愕然としました。ちなみに家内は2曲知っていたそうです。振り返ってみれば、わたしも 1970年代までの唄はだいたい知っているのですが、80年代になると、どうも感じが違うなと疎遠になり、90年代以降は関心が無くなりました。



 そういえば、わたしは80年代から古い音楽に興味をおぼえ、CDを集めるようになったのでした。90年代には一時、ラテン音楽のとりこになった時期もありました。それにしても1曲も聞き覚えがないとは、憮然たる思いです。



 唄というのは人々の思い出にからまっています。本を読んでいると、唄が生活に深く関わっている場面に出会うことがあります。たとえば、作家の森まゆみ*は、子どもの頃に「潮来花嫁さん」という唄が流行っていて、「舟で嫁ぐ」というのが印象的で、大人になってからも一度、潮来(いたこ茨城県)へ行ってみたいと思っていたそうです。< 子どもが三人になって、勉強中の夫にかまってもらえなかった正月、私は潮来へ出かけることにした。(中略)/潮来の簡易保険センターに泊まった。正月だというのに四日すぎだったせいか、広い風呂にも人影はない。八歳、五歳、二歳の三人の子どもをつれて宿代は大人一人、、小学生の子ども一人分で船盛りを頼んでも総計一万円少しだった。いや、お金がないのでそのように頼んだのだった。一枚の布団に四人で寝た。> と思い出を書いていました。リアルに生活の細部が窺える挿話です。



 ♫ 潮来花嫁さんは 潮来花嫁さんは

   舟で行く

     月の出潮を ギッチラ

  ギッチラ ギッチラコ

  人の噂に かくれて咲いた

  花も十八 嫁御寮 




 流行歌とか歌謡曲という言い方は現代では通用しないのかも知れませんが、唄を聞けば、わたしも個人的な情景が思い浮かびます。人であったり、場所であったり、出来事であったり・・・。とすれば 90年代以降は流行歌がわたしの思い出に関わることが無かったことになります。それもなにか味気ない気がします。



森まゆみ『昭和ジュークボックス』(旬報社)

#「ふと口ずさむ唄」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2014-11-24


昭和ジュークボックス (ちくま文庫)

昭和ジュークボックス (ちくま文庫)

  • 作者: 森 まゆみ
  • 出版社: 筑摩書房
  • メディア: 文庫


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晴れやかな音楽 [音楽]

 この間からハイドンを聴いています。なんとなく近代の音楽がウットーシク感じられ、久しぶりに彼の交響曲(第93-104番)をかけてみました。以前はハイドンは単純で、面白くも何とも無いと思っていたのですが、今回は晴朗な空のように感じられ、気持ちよく気晴らしになっています。



 ハイドンはモーツァルトのように才気走ったところがなく、ベートーヴェンのような押し付けがましさがなく、マーラーのような鬱陶しさがなく、更にはバッハのような抹香くささもありません。



 ハイドン(1732-1809)はオーストリア生まれですが、アメリカ初代大統領ワシントンと同い年で、日本では八代将軍吉宗の時代で、与謝蕪村とは同時代人です。



 彼は 100曲以上の交響曲を作っています。モーツァルトが 41曲、ベートーヴェンが 9曲なのに比べると、多作ぶりが際立っています。また、ハイドン以前の作曲家の交響曲というのも一般的ではありません。小学生の時に、彼を「交響曲の父」と習ったのも頷けます。



 交響曲が人間の心模様を表現しているとすれば、ハイドンから 200年の間に、人間の心は色んな領域が発見され、膨張し拡大したように思われます。ハイドンでは各楽章が4~9分でたりたのが、20世紀のショスタコーヴィッチなどでは、20分を超える長大さが必要になっています。



 心のひだを曝け出したような 19世紀以降の音楽は、日常的に聴くには胸につかえ、胃にもたれて体にこたえます。そういう意味では、ハイドンは一曲の清涼剤です。聴きながら、気持ちよくうたた寝していると、ビックリさせてくれたりもします。しばらくは春の空のような音楽が楽しめます。



#「やるせない音楽」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2020-06-07




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青い汗 [音楽]

 先日、棚から『ブルースエット』という CDを取り出しました。カーティス・フラーというトロンボーン奏者がリーダーとなったアルバムです。いつ買ったのか以前から棚の隅にありました。『Blue Sweat』・・「青い汗」か、凝った題だなと前から思っていましたが、今回よく見てみると『BLUES-ette』となっていて驚きました。"ちっぽけなブルース"とでもいった感じなのでしょうか、国内盤でカタカナ表記だったので誤認していたのでしょう。



 早とちりというか、思い違いというか、自分で気づくのはまだいいとして、人前で露見すると、それこそ"青い汗"ものです。



  思い返せば、青年時代まで、焼き鳥はスズメだと思っていました。また、カレー粉は「カレーの木」の実を磨り潰したものだと思い込んでいて、家内に笑われました。長い間、「染」という漢字の中の「九」を「丸」と書いていました。



 気づかないだけで、こんな類の間違いは多いのかも知れません。変だなと思っても、黙って見過ごしてくれている場合もあるのでしょう。多かれ少なかれ、だれもが身に覚えがあることでしょう。思い出せば気が滅入ることもあります。



 『ブルースエット』というアルバムは軽快で、楽しく、沈んだ気分を晴らしてくれます。そういえば、ジャズのアルバムには凝った題があって、たとえば、トランペットのクリフォード・ブラウンに『Study in Brown』というのがありますが、ライナー・ノートによれば、英語には「brown study」という言葉があって、「沈思黙考」といった意味だそうです。辞書を見ると「be in  a brown study」で「物思いにふけっている」となるそうです。奏者の名前をひっかけた、シャレた題をつけたものです。







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歳末にふり返る [音楽]

 寒波の影響なのか、光回線が切れ、23日からネットと固定電話が繋がらなくなりました。修理を頼もうとNTTにケータイで電話しましたが、AI音声で誘導されたあげく、ショート・メールで「最短で 28日」と一方的に送ってきました。なんとも味気ない対応です。



 久しぶりに5日間、ネットのない生活をおくりました。本を読んだり音楽を聴いたりして時間をつぶすのですが、何か物足りない気持ちがします。いつのまにかネットに依存しているのでしょう。



 やっと今日はNTTの人が来てくれました。「すぐ直りますよ」と言うことだったのですが、どこが原因か分からず、結局、電柱の光回線を張り替えたそうです。年末には何故か電気製品とか水回りとかが故障して、あわてることが多い気がします。



 ネットが繋がりホットしましたが、年も押し迫り、今年1年のことを振り返る気分になります。またひとつ年をとったことだけは確かです。去年に比べ目や耳はあきらかに衰えています。



評論家の川本三郎は < 年を取って唯一いいことは思い出が増えることだろうか。>* と書いていました。そういえば事あるごとに、いろんな思い出が蘇って、しばし物思いにとらわれます。もちろん一方では日々、記憶は失われてもいるのですが・・・。



 同書の中で川本三郎は、木下忠司という作曲家のことを書いていました。その人は映画監督の木下惠介の弟で、木下映画のほとんどの音楽をてがけたそうです。『喜びも悲しみも幾歳月』(1957)の主題歌も彼の作曲です。彼は膨大な数の映画やテレビ・ドラマの音楽に関わっています。



 そういえば数年まえ御前崎へ行ったおり、灯台の下に、『喜びも悲しみも・・』の主題歌の歌詞碑があり、小学生のころ母親に連れられて、隣村の映画館で観たのを思い出しました。何ヶ所かの灯台を転勤してゆく灯台守の苦難の話だったのを憶えていましたが、御前崎灯台も舞台になっていたことは知りませんでした。


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 木下惠介監督の『二十四の瞳』(1954)は小学生の物語なので、「仰げば尊し」とか唱歌や童謡がたくさん使われたそうです。家が貧しく、小学校を辞め、働きに出る女児を思って大石先生(高峰秀子)が涙ぐむ場面に、流れていたのは「星の界(よ)」という唱歌でした。 ♪ 月なきみ空に きらめく光 ♪




 「星の界」は明治時代に作られたのですが、元歌があって、讃美歌第312番のメロディーを使っています。唱歌にはそんなのが多いそうです。



 『二十四の瞳』を外国で上映した際には、著作権の問題があるので、一部の音楽を別のものに差し替えたそうです。



 川本三郎はわたしより4歳年上で、東京生まれなので、田舎育ちのわたしとは思い出の内容が異なりますが、彼の本は知らなかった事、気づかなかった事を教えてくれます。



*川本三郎『映画を見ればわかること 2』(キネマ旬報社)

#「駿河のくに巡り」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2019-07-08

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映画と音楽の密接な関係 [音楽]

 映画はほとんど観なくなったのですが、先日、ピアニストのアレクサンドル・タローが映画音楽を演奏した CDが出たので取り寄せてみました。CD2枚に 51曲も入っているのですが、聴き覚えのあったのは数曲だけでした。「禁じられた遊び」、「追憶」、「ゴッドファーザー」・・程度。


 聴いたことがあると思って、映画の題名をみても知らなかったり、観たことのある映画なのに曲に憶えがなかったりいろいろです。ミシェル・ルグラン、フランシス・レイ、ニーノ・ロータ、エンニオ・モリコーネ、ジョン・ウイリアムズといった作曲者の曲が並んでいます。ただ、ヘンリー・マンシーニの曲が無いのは不思議です。


 聴いたことがなくても、いかにも映画の場面を彷彿とさせるような曲ばかりです。CD 1はピアノとオーケストラ、CD2はピアノ・ソロで、数曲はヴァネッサ・パラディなどの歌手が唄っています。


 わたしが中学生のとき、初めて一人で映画館で観た映画は『モスラ』でした。ザ・ピーナッツが主題歌を唄っていました。上映の間には美空ひばりの「港町十三番地」が流れていました。


 高校生では『ドクトル・ジバゴ』の「ララのテーマ」、『サウンド・オブ・ミュージック』、『 007 ゴールドフィンガー』などを映画館で見聞きしました。


 大学生では『ロミオとジュリエット』に感心し、初めてサントラ 盤を買いました。『レット・イット・ビー』というのもありました。


 1960年代頃にラジオでよく流れていた映画音楽としては「ジャニー・ギター」、「クワイ河マーチ」、「ムーン・リバー」、「ロシアより愛をこめて」、「太陽がいっぱい」・・・などを思い出します。そういえば「枯葉」も元々は映画の中で唄われた曲だったはずです。


 映画と音楽は密接な関係があります。『ベニスに死す』でのマーラーの「アダージェット」、『地獄の黙示録』でのワーグナー「ワルキューレの騎行」などは、この音楽が無ければ、映画が成り立たないほどです。個人的には、『鉄道員 ぽっぽや』での「テネシー・ワルツ」の使われ方がこころにしみるものがありました。


 しばらくは、いろんな映画のことを思い出しながら、午睡の BGMに A.タローのピアノの音を楽しみます。 

 

#「小説と映画の微妙な関係」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2021-09-12


シネマ (日本語解説/日本語帯付)

シネマ (日本語解説/日本語帯付)

  • アーティスト: アレクサンドル・タロー
  • メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2022/10/21
  • メディア: CD

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秋だから [音楽]

 秋が深まってきました。散歩をしていても木々が黄葉し、落葉を踏んで歩くことになります。この季節になると、思い出す唄があります。「秋だから」とふと口ずさんだりします。長谷川きよしの澄んだ声とギターの音色が、耳に蘇ります。


 彼はわたしと同じくらいの歳ですが、レイ・チャールズやホセ・フェリシアーノと同じように盲目です。1969年に「別れのサンバ」で注目されました。


 彼はサングラスをかけていますが、歌手の浅川マキに知り合って間もないころ、< 「あのね、きよし、サングラスかけてないでしょ? 私はかけた方が絶対もっとイロッポク見えると思うんだ」> とアドヴァイスされたそうです。< 僕はその頃若かったし、かなりつっぱっていたので、目がみえなくても普通の人と何も変わらないのだ。サングラスなんかかける必要ないじゃないかという考えでした。(中略)/言いにくいことをすっぱり指摘してくれたのです。> と彼は浅川マキ追悼文集のようなもの*に書いています。後に彼は初めての子供に「マキ」という名をつけたそうです。


   秋だから

   ひとりであてもなく

   街を歩いてみたいの

   落葉の舞う鋪道を 

   コツコツとなる

   靴音だけをききながら

         (作詞 葵 梨佐)


 何ともない唄ですが、そういえばそんな時代もあったと思い出します。喫茶店に入ったり、手紙を書いたりはしなくなったと思いあたります。そして、秋だからといって、何かが起こるわけでもないと分かっているのですが・・・。


*喜多條忠責任編集『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』(実業之日社)

#「浅川マキのこと」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2014-11-11



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旅立てジャック [音楽]

 先日、YouTubeで「村上RADIO」がレイ・チャールズを特集したのがあったので、聞いていてビックリしました。レイ・チャールズはわたしも十代の頃から聴いていましたが、彼の代表曲のひとつの「旅立てジャック HIT THE ROAD JACK」について、これはダメ男を女の人が「出て行け!」と追い出している唄だと解説していたのです。


 たしかに歌詞を読んでみると、そんな雰囲気です。なんとなく独り立ちする少年の旅立ちを唄っているのだと、60年近くも誤解していました。女性の声が And don’t you come back  no more ,no more と繰り返す意味がやっと分かりました。


 1960年代に「旅立てジャック」と邦題をつけた人は歌詞の内容が分かっていたのか疑問ですが、「出ていけこの野郎」の題では当時の青少年に受け入れられたかどうか怪しまれます。


 手持ちのCDに付いている解説で湯川れい子は < 実はその当時の奥さんと大ゲンカした際、彼女から言われた'HIT THE ROAD!(出て行け!)'という言葉から生まれた曲(中略)だったとか、色々な逸話がある > と書いていました。


 彼が亡くなった2004年に公開された『RAY』は彼の伝記映画でした。いつだったかテレビで見たのですが、夫婦喧嘩の場面もあった気もしますが憶えていません。彼が薬物依存に苦しんでいた様子が印象に残っています。


 彼を教えてくれたのは高校時代の友人ですが、以来、レイ・チャールズの声はいつもこころと体に響いていました。Hit the road Jack! と叱咤激励されているようで・・・。





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午睡の音楽 [音楽]

  音楽は音を出す人の息づかいや表情が表れるような身体的な表現ですが、録音された音楽だけを聴いていると、そんなことをつい忘れてしまいます。レコードも CDもなかった時代では、音楽は常に一回限りの催しだったことでしょう。


 そんなことを思ったのは、昼寝の BGMにフォーレのピアノ四重奏曲を聴いていた時です。ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの4人が互いの音を聴きながら、それぞれが自分の音を紡ぎ出しているのが目に浮かぶようでした。優しげなヴァイオリンの響きに突然、力強いピアノが重なったりします。少人数での演奏なので身近に感じられたのでしょう。


 ジャズでも唄でも同じことでしょう。日頃、生演奏に接する機会が少ないので、つい当たり前のことを見逃しています。昔、誰だったかが、CDは旅行のときの絵葉書のように、思い出に買うものと言っていたのを憶えています。そんなものかと CDを見る目が変わりました.。


 夏の終わりの午後、音楽に聴き入っていると、寝そびれてしまいました。フォーレ(1845-1924)はパリのマドレーヌ寺院のオルガン弾きをしていたこともあるようです。日本でいえば幕末に生まれて大正末まで活躍したということになります。





(第3楽章より)

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