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お寺巡りは歴史歩き [徘徊/旅行]


 散歩がてら久しぶりに粉河寺へ行って来ました。紀ノ川沿いに30キロほど遡った右岸側に在ります。西国三十三所巡礼の第三番札所です。第一番は那智の青岸渡寺、第二番は和歌山市の紀三井寺です。


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                                             (粉河寺 大門)


 粉河寺の創建は 770年とされています。平安時代の清少納言は『枕草子』に <寺は 壷坂。笠置。法輪。靈山は、釋迦佛の御住みかなるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀。*> と書いています。彼女が生きたのは仏教伝来から 500年くらいの頃です。



 現代人が寺を選ぶとすると、薬師寺とか唐招提寺とか建築や仏像の印象を基に考えることが多いのでしょうが、清少納言はまず最初に壷坂を挙げていますが、何を目安に選んでいるのでしょう? 



 壺阪寺は奈良県の吉野の北方にある西国第六番札所ですが、いつからか眼病に霊験があるとして、人形浄瑠璃の『壷坂霊験記』という演題にもなっています。わたしも小学生のころ誰だったかが、「お里・沢市」の物語を唸っていたのを憶えています。



 笠置寺は京都府の南方にある巨石の磨崖仏で知られる寺です。古くからの巨石信仰(磐座いわくら)に仏教が重なっているのでしょう。清少納言から300年ほどして、後醍醐天皇がたてこもり、鎌倉幕府軍に焼き払われています。



 法輪寺は京都嵐山にある寺で、十三歳になると「十三まいり」をする寺として知られているそうです。霊山正法寺は京都東山にあり、本尊が釋迦如来なので「釋迦佛の御住みか」としているものと思われます。京にはたくさん寺院がある中で、なぜ霊山を選んだのか今となっては分かりにくいです。



 石山寺は滋賀県大津市にありますが、名前のとおり巨石の寺で、境内には白っぽい巨石が見られます。平安時代には石山詣が盛んだったそうです。紫式部が『源氏物語』を書いた所として有名ですが、仲が良かったとはいえない清少納言も知っていたのでしょうか? 西国十三番の札所です。



 志賀寺はかって大津市にあった崇福寺の別称だそうで、現在は遺跡が残っているだけのようで詳細不明です。



 粉河寺はこれらの中で京から最も遠方にありますが、清少納言は参拝したことがあるのでしょう。粉河寺縁起絵巻が本尊の千手千眼観音の霊験を伝えていました。それから600年ほどして、羽柴秀吉に全山焼き払われたりして、現在の建物は再建されたものです。



 こうしてみると清少納言は寺の霊験や縁起に基づいて、あれこれ選択したのではないかと推測されます。



 お寺には色々な歴史がからんでいます。わたしは 50代のころに西国三十三所巡りを半分程したのですが、いつの間にか中断しています。来年は、散歩がてら、ドライブがてら再開してみようかとも思ったりしています。


*『枕草子 池田亀鑑校訂』(岩波文庫)


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