夢と世界 [読書]
眠りが浅いせいか、夢をよく見ます。たいてい困った事態に陥り、どうしようという時に目が覚めます。
それでふと思ったのですが、カフカの小説『変身』は、ある朝、夢から目を覚ますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっていた、と始まります。つまりこれは夢と日常を入れ替えた仕掛けになっています。目が覚めて夢が始まる。あるいは、夢の続きを生きる。そういえばカフカの小説は『審判(訴訟)』も『城』も夢の世界に迷い込むような雰囲気です。
カフカ(1883-1924)はチェコで生まれたドイツ語系のユダヤ人です。当時、お隣りのオーストリア・ウィーンには、夢判断や精神分析を始めたフロイト(1856-1939)がいましたが、彼もユダヤ人でした。
夢に意味を見つけ、夢の世界に入り込むことで人の現況を理解しようという素地が、彼らの社会に根付いているのでしょうか?
わたしの場合、夢はそんなに長いものではなく、一幕物のようです。思いがけない昔の知人が出てきたり、どこか行ったことがあるような場所が舞台です。仕事に関係した状況が多いようで、しかも事がうまく運ばないのが定番です。カフカとは違って、目覚めたとき、夢で良かったと安堵します。途中覚醒して、また眠ると、夢の続きは見ないようです。
目が覚めてから、夢のような事態が起これば、困り果てます。カフカの小説の主人公のように途方にくれることでしょう。先日読んだのは彼の『流刑地にて』という短篇でした。何処か島にある流刑地で、特殊な装置による処刑に立ち会うことになる旅行者の話でした。思わぬ事態の進展で、いつ誰が処刑されるのか、だんだん不安になります。
カフカの小説のような夢は願い下げです。しかし、世界は理不尽な事が多く、カフカの小説のようだと感じれば、やはり虫にでも変身するしかないのかも知れません。