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人間らしくやりたいナ [読書]

 自伝というのはあるていど齢がいってから書けば、余裕をもって若かった頃が回顧できます。また、登場人物も既に他界していたりして、気兼ねなく描けるという面もあるでしょう。


 開高健は自伝的小説『青い月曜日』を 34歳で書き出しており、戦中・戦後を生きた、まだ生々しい記憶を無理やり言葉で定着させようとする迫力があります。鮮烈な色や鼻をつく臭いに溢れていて、汗や血や分泌物で書かれた文章のように感じられます。


 開高健は昭和5年(1930)に大阪で生まれています。中学生時代は第二次世界大戦の最中で、勤労動員により鉄道の操車場へかり出されています。毎日のようにグラマン P51の機銃掃射がありました。ある日は逃げ遅れ、田んぼに逃げ込みます。


 < その瞬間、頭を削るほど低く”熊ン蜂”が疾過した。薄い泥の膜ごしに目が一瞬に多くのことを見た。(中略)機首には黄や赤や青のペンキでポパイが力こぶをつくっている漫画が描いてあり、機関砲がはためいて火を噴いていた。(中略)防弾ガラスごしに操縦席の男がはっきりと見えた。巨大な風防眼鏡(めがね)にかくされている頬が信じられないほどの薔薇いろに輝き、快活に笑っていた。人は人を殺すときに笑ったりするのだということをはじめて知らされた。>


 < 夜になると空襲がある。サーチライトで蒼白に切り裂かれた乱雲のなかをB29の大編隊がゆうゆうとわたってゆく。爆弾と焼夷弾の大群が落下しはじめる。一筒一筒の爆弾が空から鋼線をつたいおちるような悲鳴をたてて殺到する。(中略)暗い狂騒のなかによこたわり、私はじっと耳を澄ませながら、つぎのやつでやられる、つぎのやつでやられると、考える。>


 延々とこんな話が続きます。「如何にして生き延びて来たか」という記録です。「あとがき」で開高は < 自分の内心によりそって作品を書くことはするまいと決心していた。(中略)けれど、そろそろ私はそのことにくたびれ、飛翔ができなくなって、文体も素材もみつけることができず、(中略)だからこの『青い月曜日』という長篇で私は求心力をつかんで、ずっとふりかえるまいと心に強いてきた自分の内心にはじめてたちむかってみようと考えたのである。 > と書いています。


 開高は、この自伝の連載5回分の原稿を書いて、ベトナムへ取材に出かけます。帰国後、彼は「ある苛烈な見聞と経験のため」一時この自伝を書き継げなくなります。


 やっとの思いで、戦争が終わってからの生活についてを書き継ぎます。< もう三ヵ月近くになるが、誰も私が昼食を食べないことに気がついていない。誰にも洩(も)らしたことがないし、気(け)どられたこともない。誰も知らないうちにこっそり教室をぬけだして水を飲みにいき、なんとなく歩きまわって時間をつぶしてから教室へもどる。誰にもこのことを知られたくなかった。>


 食うために学生ながら仕事を転々とするうち、文学仲間と出会い、女性詩人と関わり、21歳で父親となるまでを書き尽くしています。


 < 私にとっては少年時代と青年時代はいつもとめどない宿酔(ふつかよい)であったように感じられる。《戦争》があってもなくてもそうだったのではあるまいかと思う。あれらの日々の記憶はいまだに私の皮膚に今朝(けさ)のことのように入墨(いれずみ)されて、ヒリヒリしながらのこっている(後略)> と著者は振り返っています。


 「人間らしくやりたいナ」は壽屋(現・サントリー)宣伝部時代の彼の代表的なコピーです。




青い月曜日 (集英社文庫)

青い月曜日 (集英社文庫)

  • 作者: 開高 健
  • 出版社: 集英社
  • メディア: 文庫

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