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開高健のユトリロ [読書]

 大学生のころ美術部に属していたので、先輩に連れられて「ユトリロ展」、「レンブラント展」、「モジリアニ展」を京都へ見に行きました。1967-8年のころです。


 ユトリロの絵はほとんどがパリの建物を描いたもので、ひと気がなく壁面ばかりが印象に残っています。レンブラントでは妻・サスキアをモデルにした華やかなフローラ像、それに何と言っても晩年の自画像が強烈にこころに焼き付いています。なんと深い哀しげな表情か、生きるとはこんな顔になることか、と十代のわたしを恐れさせました。モジリアニは目に表情のない細い首の女性像が記憶にあります。


 結局、たいして絵も描かず、数年で美術部から離れましたが、若い頃に見た絵の印象はいつまでも残っています。いまだに絵はレンブラントが最高だという気持ちがあります。


 ユトリロの絵に開高健がキャプションを付けた『開高健のパリ』(集英社)という本があったので取り寄せてみました。この本は1961年に出版された『現代美術 15 ユトリロ』(みすず書房)に収録された開高の文章と彼がパリについてふれたエッセイ類を再編集したものでした。


 たとえばユトリロの「街景」という絵には・・・


 <ユトリロの創作力の質的な限界はだいたい一九二五年頃からである。その頃から彼は実人生においてめぐまれだし、リュシー夫人の保護をうけて、いわば、幸福な馬鹿になりだした。この時期以後の作品は数は多いが、かっての、新鮮な回生の体験がタブローごとにこめられる、というようなそのようなパレットのとりあげかたができなくなった。たわいなく、涙にうるみ、ノホホンとして郷愁だけが発達したテクニクのなかにただようばかりとなった。/ けれどこの作品には転回直前の光輝がうかがえる。雨あがりの道で女たちはうつくしく輝き、樹木も、空も、壁もぬぐいとったように新鮮で華麗である。(開高)>


とキャプションを付けています。絵と文章を見比べながら楽しめます。


 ユトリロ(1883-1955)はパリに生まれ、若い頃からアルコール依存症の傾向があり、入退院を繰り返し、その治療の一環として絵を描くようになったそうです。日本でいえば志賀直哉や高村光太郎と同い年です。開高健によれば第一次世界大戦前後がユトリロの創作力のピークだったということになります。彼はアルコール依存症で兵役免除になっていますが、同時期に活躍しだした戦争帰りのヘミングウェイらのロスト・ジェネレーションと重なる部分があるのかも知れません。ヘミングウェイは「薄汚い、安直なレッテル貼りなどくそくらえだ。*」と書いていますが・・・。


  * E.ヘミングウェイ『移動祝祭日』(高見浩 訳 新潮文庫)




開高健のパリ

開高健のパリ

  • 出版社: 集英社
  • 発売日: 2019/09/05
  • メディア: 単行本

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