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東京オリンピックの記憶 [スポーツ]

 オリンピックが始まりました。今回は最初から種々の不手際が多く、コロナ禍もあり盛り上がりに欠けるようです。前回の東京オリンピックは 1964年で、わたしは高校1年生でした。51歳だった母親は東京にいた長男に呼ばれて、チケットの取れた、何だったか名前の知れない競技の観戦に出かけていました。多分、出来たばかりの新幹線にも乗ったのでしょう。


 10月10日の開会式では延々と続く各国の選手団の入場の様子を珍しげに観ていた記憶があります。田舎の高校生ですから、こんなに多種類の外国人など見たことも無かったことでしょう。テレビは白黒だったはずですが、後から見た画像の影響かトラックの煉瓦色が目に浮かびます。


 三宅義信選手の活躍で重量挙げという競技を知りました。何か白い粉を手につけてバーベルを挙上するだけの運動ですが、なぜか引き込まれて見続けてしまいました。まるで一人芝居の演者のようでした。オリンピックで初めて知ったというスポーツは、その後もいくつかあったと思います。


 体操では遠藤幸雄選手のつり輪が思い出されます。つま先までピンと伸びた十字懸垂の姿です。それにしても現在の選手は、なぜあんなにも捻ったり、手を離したり出来るのか不思議です。女子ではチャスラフスカというチェコスロバキアの選手の気品のある演技は東京五輪の華でした。




 ヘーシンクに勝てなかった日本柔道、サロメチールをこめかみに塗って走るハードルの依田郁子、マラソンのアベベ、競技場内で抜かれて3位になった円谷幸吉、女子バレーボールのニチボー貝塚、谷田のアタックや回転レシーブなど、断片的な映像が 57年経っても蘇ります。それだけ印象が強かったのでしょう。


 オリンピックがすんで1年半後、わたしの通っていた高校に体育館ができ、杮落としにバレーボールのニチボー貝塚 対 鐘紡四日市の試合が行われました。びっくりしたのは、何よりも選手たちの肌の白さでした。それまで運動部の選手といえば色の黒い人しか知らなかったのでしょう。


 ここに出てきた選手たちは、わたしより十歳前後年上ですが、調べてみると三宅義信以外、遠藤幸雄もチャスラフスカも、ヘーシンクも依田郁子も谷田も、皆んないつの間にか、他界されていたのは意外で、残念な気持ちがします。


 今度のオリンピックでも、何十年経っても記憶に残る選手がたくさん現れるといいですね。


#「南米のオリンピック」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2016-08-10

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