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マーラーの音 [音楽]

 一度、マーラーの交響曲を第1番から第9番まで順番にたどってみようと、ここ2週間ほど、毎日のように聴いてみました。彼の交響曲は長大なのが多く、また感情移入しにくいのもあり、ゆっくりとした時間がとれる現在にふさわしい楽しみかと、取り組んでみました。


 そして、何か新しい発見があるかも知れないと期待して、手持ちの CDのうち、今まであまり聴いてこなかったものを選んでかけることにしました。


 G.マーラーは 1860年、オーストリア帝国(現在ではチェコ)生まれで、日本でいえば万延元年で、森鷗外より2歳年上です。鷗外がドイツ留学でベルリンに居たころ、マーラーは交響曲第1番を作曲中でした。また、トーマス・マンの小説『ヴェニスに死す』はマーラーもモデルになっているようです。


 1971年のヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』では、マーラーの交響曲第5番の第4楽章が使われ、映画音楽として評判になりました。彼の音楽が一般的になったのは、その頃からのようです。ちなみに 1910年9月、ミュンヘンで交響曲第8番がマーラー自身の指揮で初演された時には、会場にトーマス・マンもいたそうです。


 マーラーの曲では突然、天の声のようにラッパが鳴り響いたり、葬送曲が始まったり、感傷的なメロディが出て来たり、おもちゃ箱をひっくり返したような雰囲気がありますが、いつも「死と再生」が意識されているようです。


 また、マーラーの曲を聴いていると、シャガールの絵が思い浮かぶことがあります。どことなく村の祭日のにぎわいの中にいるような、夢の中にいるような気分が似ています。


 以前からマーラーの曲では交響曲第2番「復活」を聴くことが多いのですが、若々しくて、表現がストレートで、聴き終わって穏やかな気分に浸れます。今回は O.クレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団(1962)で聴きました。クレンペラーは若い頃、就職の斡旋など、マーラーの世話になっていたそうです。同時代を生きた人の演奏です。マーラーは生前は作曲家というよりは楽長・指揮者としての活躍の方が目立っていたようです。


 意外に聴きやすかったのは、R.シャイー指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1997)の交響曲第5番でした。音色が色彩的で明るく、重厚さはありませんが、こんな世界もありかと思われました。


 最近の演奏者のものでは、第6番「悲劇的」を T.クルレンツィス指揮、ムジカエテルナ(2016)の演奏で聴きました。スッキリとした音で活力もありますが、なにか猥雑さとでもいうような雰囲気に乏しく、少し違和感が残りました。マーラーの音楽には見世物小屋のようなところがあり、お化けが出たり、軍楽隊が現れたりして聴衆を驚かせたりする雰囲気もほしいと思いました。


 いつも音楽に入り込めず、苦手な第7番「夜の歌」は、この度は G.ショルティ指揮、シカゴ交響楽団(1970)で聴いてみましたが、どうしてこんな音が延々と続くのかと不思議に思え、誰か他の指揮者だったら腑に落ちる演奏をしてくれるのだろうかと、やはり理解のできないものとして残りました。



 初期のものから順に聴き続けて第9番になると、どうしても同じような曲調が耳についてくるせいか、第1ー3楽章が退屈に感じられました。第4楽章のアダージョだけを聴けばいいような気がしました。演奏は L.バーンスタイン指揮、イスラエル・フィル(1985)を選んでみました。マーラーは 36歳のとき、ユダヤ教からカトリックに改宗しています。


 1911年、マーラーは敗血症で他界しました。50歳でした。晩年、彼は強迫症状に悩まされ、フロイトに精神分析を受けています。彼の曲からはどれも不安や恐れ、希望といった要素の混在した音が生々しく放射されてきます。そんなところが彼の音楽が現代人に受け入れられる理由なのかも知れません。この2週間、剥き出しの、生々しい情感に包まれたような毎日でした。



 


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