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詩人の食べもの [食物]

  嵐山光三郎『文人暴食』(マガジンハウス)は『文人悪食』の続編です。小泉八雲から寺山修司まで 37人について、各人を食べ物との関わりから描いています。著者は「あとがき」で <・・・二冊を書くために十年間(五十歳〜六十歳)を要した。それは、人間が食うことの意味を問う十年間であった。>と述懐しています。


 一人につき 10ページ程の分量なので、食事を待つ間とか、眠前などに簡単に読めますが、それでいて独特の切り口から各人の意外な人間像が浮かび上がり、読み応えがあります。


 たとえば、室生犀星(1889-1962)といえば「ふるさとは遠くにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」で始まる抒情詩が思い浮かびますが・・・。


 彼は <金沢に生まれた私生児であった。父は加賀藩の足軽頭、母ははるという女中であった。父は老年で女中に子を産ませたことを恥じ、生後七日のまだ名をつけぬうちに、近所の赤井ハツに渡した。/(中略)ハツは、人買い屋でもあり、若干の養育費を貰って事情ある子をひきとり、男ははやく勤めに出し、娘は娼婦として売って遊興費を稼いでいた。> 室生犀星の出発点です。

 姉が娼婦として売られたとき、少年犀星は号泣した。ハツは「姉を売った金でおまえが食うことができるのだ」と説明しました。犀星はひもじい少年期を過ごしました。
 
 詩人となった犀星は、山にかすみ網を張って大量のツグミをとって持ち帰り、バケツのなかで羽をむしり、肉はバターで炒め、骨はこまかく叩いて、メリケン粉と混ぜて団子とし、じぶ煮にして食べていたそうです。こんな詩を書いています。
 
 
   「小鳥を食べる」
  春さきになると小鳥がおいしくなる
  美しい柔らかい羽根をひいた裸のまま
  火に炙(あぶ)ると漆のやうに焦げる
  人間の心をよろこばせる美しい味ひと
  それを食べたあとのからだが
  ほんのりと桜いろに温まつてくる
  冬木にとまる小鳥をみると
  小ぢんまりしたからだを感じるのだ。
    (後略) 

 晩年の犀星は <庭に杏の実がなると、杏の数を勘定して、熟れすぎぬうちに植木屋に頼んでもぎとった。それを自ら台所で洗い、書斎の押入れに隠してしまい、妻のとみ子には二個しか与えなかった。娘の朝子は、犀星が留守のときにそれを盗み出してとみ子にあげた。とみ子は昭和十三年、脳溢血で倒れ、以後半身不随になっていた。帰宅した犀星は、隠しておいた杏を数え、二個足りないことを知ると、朝子をひどく叱った。「とみ子が胃痙攣をおこしたら困る」というのが犀星の言い分であった。> 


 犀星はだんだんと食べ物に執着するようになります。嵐山光三郎はこれを犀星のひもじかった少年期への復讐と捉えています。


 昭和37年、詩人・小説家として一家をなした犀星の遺作はこんな詩でした。


      「老いたるえびのうた」

  けふはえびのやうに悲しい

  角(つの)やらひげやら

  とげやら一杯生やしてゐるが

  どれが悲しがっているのか判らない。

  

  ひげにたづねて見れば

  おれではないといふ。

  尖つたとげに聞いて見たら

  わしでもないといふ。

  それでは一体誰が悲しがつてゐるのか

  さつぱり判らない。

  生きてたたみを這うてゐるえせえび一疋。

  からだぢゆうが悲しいのだ。


 <復讐をはたし終わった詩人が、余裕をもってユーモアさえ漂わせて自嘲してみせた。>と嵐山光三郎は書いています。絶品です。



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