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ひょっこりひょうたん島の住人 [読書]

 井上ひさしといえばテレビの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の原作者の一人ということが思い浮かびますが、没後十年になって、『発掘エッセイ・セレクション 小説をめぐって』という本が出たと毎日新聞の書評欄にあったので買ってみました。演劇や小説やら何やら、よく目立つ人だったのですが、わたしは全く読んだことがなかったので、何か読んでみようと思っていたので、つい食指が伸びた次第です。


 何というか本は断簡零墨を集めたような内容でした。いろんな文章を繋いでみると、本名は井上廈と書くそうです。「ひさし」と読んでくれた人は一人もいなかったそうです。「なつ」、「か」、「あもい」、ひどいのは「ぞうり」と読むのかねと言った厚生省の役人がいたそうです。


 ラジオ・ドラマの台本を書いている間は、井上廈でよかったのですが、テレビの時代になって、画面で読めないので「井上ひさし」と書くようになったそうです。


 昭和9年(1934)、山形県の最上川沿いの小松という所で生まれています。大凶作のときには、近くの村では「娘さんを売る前に、役場に相談してください」と村中に貼り出すような所だったそうです。


 中学三年の秋から高校卒業の春まで、仙台市郊外のラ・サール・ホームというカトリック系の児童保護施設に居ました。 <あの松の梢を渡る風もさわやかな丘の上の数棟には、日本国の大人が見放した日本国の子どもに惜しみなく愛を与えていた人たちがおられたことはたしかである。>と書き <春はいやな季節だった。/春には門の前に捨子がふえる。> と述懐しています。


 その辺の事情は何かの機会になんとなく知っていましたが、改めて生きてきた過程の厳しさを認識させられます。そういえば「ひょっこりひょうたん島」の子供たちも皆んな孤児だったのかも知れません。


 <浅草には取り立てていうほどの神はいなかった。人はそこではのびのびと振舞い、自由に暮らしているように見えた。強いていえば、そこの人たちの神は彼等自身だった。(中略)/あのときから、わたしは神の支配下から脱走した。> と浅草フランス座での日々を回想しています。


 著書未収録の、雑誌や週刊誌に載せたエッセイや文庫に書いた解説などを「来し方」、「とことん本の虫」、「交友録」、「自作を語る」という章立てで纏めています。他に『社会とことば』、『芝居とその周辺』があり全3冊のエッセイ集成になっています。


 いなくなって、もう10年にもなるのだと今更ながら驚きます。11月は年賀欠礼の葉書が届きますが、かっての同僚や同級生の奥さんからのには、突然の知らせで軽いショックを受けます。


  だけど僕らはくじけない

  泣くのはいやだ 笑っちゃおう

  すすめ ひょっこりひょうたん島




小説をめぐって (井上ひさし 発掘エッセイ・セレクション)

小説をめぐって (井上ひさし 発掘エッセイ・セレクション)

  • 作者: 井上 ひさし
  • 出版社: 岩波書店
  • 発売日: 2020/07/11
  • メディア: 単行本

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