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時代の刻印 [雑感]

   昨日は梅雨の合間で、クマゼミがやっと元気よく鳴いていました。去年より 60キロほど北に住むようになったので、南の地方よりセミの鳴き始めが数日遅いのかもしれず、また長雨でセミも出て来られなかったのかもしれません。


 環境によって生物は影響を受けるのでしょうが、人もいろいろな時代の状況に対する反応が身についてしまうようです。


  わたしの母方の祖父は定期的にどこかの検査所に喀痰を送付して、結核菌の有無を調べていました。自分の父親が肺結核だったので注意していたのでしょう。日頃、ミキサーで青汁を作って飲んでいましたが、小遣いをくれるのと引き換えに、わたしにも青汁を飲ませました。


 わたしの父は生水はのまず、水は必ず 20分間煮沸するよう言いつけました。軍隊での習慣が身についていたのでしょう。抗生物質のない時代、戦地でコレラや赤痢にかかると命取りだったのでしょう。日頃、総合ビタミン剤を多量に服用していましたが、事あるごとに、こどもや客人にも飲ませていました。


 軍医で衛生学が専門だった森鷗外は水はおろか、果物も煮て食べたそうです。梅、杏子、水蜜桃などを煮て砂糖をかけたものが好物で、大正11年7月、最後の食事も桃を煮たものだったとのことです。娘の森茉莉は果物は煮たものだけを与えられて育ったから「親類の家で水蜜桃の生を食べてはその美味に驚き」と述懐しているそうです。(嵐山光三郎『文人悪食』)


 自分では意識していなくても、わたしにも何か生まれ育った時代の印が付いていることでしょう。


 では、コロナの時代、マスクをかけ、ソーシャル・ディスタンスをとり、手指をアルコール消毒する習慣は、青少年にどんな影響を与えるのでしょう? 直接に触れ合うのを恐れる人間が育っているのでしょうか? ステイ・ホームや遠隔授業のように、唾液や飛沫のかからない距離で、はたして教育が成立するのだろうかと心配します。わたしの大学時代の先生は「飛沫のかかる範囲が教育のできる範囲だ」と断言していたのを想い出します。


  #「茫洋とした話」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2017-07-26

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