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99歳の学園小説 [読書]

  人は 85歳を過ぎたころから記憶が定着しにくくなったり、周囲の状況にそぐわない行動をしたりして、日常生活に支障をきたすようになる例が多くなるようです。ヒトというシステムの耐用年数がそれくらいなんだろうなと思えます。


 それは認知症という病気なのか、老化という生理現象なのか、判断は難しいところですが、しかし、時に 90歳を過ぎてもカクシャクとし、壮年者とまがう的確な行動のできる人に出会うことがあります。そんな人を見ると齢をとったから認知システムに障害が出るというものでもないと思えてきます。


 野上彌生子(1885-1985)は 86歳から自伝的な小説『森』を雑誌「新潮」に連載し始め、 99歳まで延々と書き続け、あと少しで完結というところで他界しました。『森』は歿後に刊行され日本文学大賞を受賞しました。99歳の人がどんな小説を書くんだろうと当時、興味をおぼえて買った本が本箱にありました。


 <ある日。/中年のやせた洋服の男が、上野からの汽車にいっしょに乗った、銘仙の袷(あわせ)に緋繻子の帯をまだ貝の口ふうに締めた、身なりだけはまともでも一瞥(ひとめ)で田舎ものとわかる小娘をつれて王子で降りた。> という書き出しです。明治 33年(1900)、14歳で九州から東京の女学校に入学する主人公(菊地加根)の様子です。


 小説では日本女学院という名のキリスト教系の学校になっていますが、モデルは明治女学校で、巌本善治という人が校長で、当時、小諸にいた島崎藤村も教鞭をとったことのある学校でした。


 <「河本香村って、詩を書くひとがあるでしょう」/「そう」/そんな詩人の存在は、加根は知らなかった。/「長野のお義兄さんっていうのはそれなの。お姉さんの旦那さんだから。河本香村もうちのもとの学校の先生だったのですって」> 女学生たちの森の中での学園生活がみずみずしく書き連ねられます。


 校長の亡くなった夫人は『小公子』の翻訳で知られた若松賤子ですが、校長は特異な人だったようで、キリスト教の講話のかたわら親交のあった勝海舟の座談の記録を纏めたりもしています。また、小説では出生の秘密に悩む女学生との関係も後半、語られます。


 <でも先生を咎める前に、わたしのほうこそ咎められてよいのかも知れません。あの時の私は、ただ愛するものが欲しかった。父母と信じていたひとが、まことには育ての親に過ぎず、まことの父は伯父であり、生みの母ははした女に過ぎなかったのを知った時の驚き、悲しみ、淋しさ、頼りなさ、これらの愛情へのいやしようのない飢えが、陥ってはならない深淵に私を突き落としたので、いまの私はそう考えることができます。> 503ページに及ぶ終章に近い部分、99歳の文章です。女の人は元気だと緻密な物語の語り口に感嘆します。


 その後でも、『私何だか死なないような気がするんですよ』と言っていた宇野千代(98歳歿)、ご存知、瀬戸内寂聴、『九十歳。何がめでたい』という佐藤愛子など 90歳を過ぎて活躍する女性作家が続きます。男性で 90歳をこえて書き続けた人はいるのでしょうか? 評論家の河盛好蔵が『藤村のパリ』を書いて 95歳で読売文学賞を受賞していましたが・・・。


 99歳の学園小説には老いの気配は感じられません。99歳になってもこんなことが出来るんだと元気づけられます。



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