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寂聴さんの源氏 [読書]

   四ヶ月ほどまえから、家内が瀬戸内寂聴訳『源氏物語』(講談社文庫)を朗読しているので聞いていましたが、昨日、やっと読了しました。十数年前にわたしがいつか読もうと買っておいたのですが、一冊だけ読んで、そのままになっていました。ちなみに三十年以上前に買った谷崎潤一郎訳は手付かずのままです。


 朗読を聞くというのは、平安時代でも『源氏物語』を楽しむ一般的な方法だったんじゃないかと思います。書き写すのには、高価な紙が膨大な枚数必要で、労力も大変です。黙読より朗読を何人かが一緒に聞くというのが普通だったような気がします。


 最初は光源氏や頭の中将のはなしですが、だんだんと紫の上の立派さが印象的になります。周辺の女房や仕える人たちの様子がリアルで、物語のおもしろさを引き立てます。重要な場面の小道具に猫が使われたりします。


 最後の宇治十帖は光源氏の孫の世代のはなしになりますが、薫の君と匂宮のはざまで苦悩する浮舟の挙動が強くこころに残ります。これは確かに千年経っても古びない物語だと実感されます。記憶喪失から徐々に回復してきた浮舟は、意思強く剃髪し尼になる。


 そういえば寂聴さんも尼僧だったと思い当たります。あとがきのようなところで「私はここに来て、はじめて作者自身も、出家しているだろうと感じた。」と書き、紫式部は後年になって宇治十帖を「自分のために書いたのではないかと思う。」と記しています。


 それにしても紫式部と清少納言が同じ時代の空気を吸っていたというのは、興味深いことです。何にでも、そんな火山の噴火のような時期があるようです。


#「千年まえのコラムニスト」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2018-07-02

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