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神社に詣でる [読書]

 七五三のお祝いに、今年は愛知県の猿投(さなげ)神社に詣でました。昨年は千葉県の柴崎神社でした。行事のおかげで、いろんな土地に出かけられるのは楽しみです。


 時間があったので、岡崎城を見学しました。徳川家康の生誕地です。矢作川と乙川に囲まれた城でした。三河地方の雰囲気が少し感じられました。


 子供たちの七五三は日前宮でした。長男は境内にある幼稚園に通い、次男はお宮のそばの産科で生まれました。


 神坂次郎『熊野御幸』(新潮社)は後鳥羽上皇の熊野御幸に随従した藤原定家の熊野詣を、『後鳥羽院熊野御幸記』にそって書いた本ですが、日前宮に参る場面が出てきます。


 「後鳥羽院から奉幣使を命じられた定家は、次の王子へ行く院の一行と別れて、紀ノ川の清流で水垢離をとり身を浄め、日前(ひのくま)・国懸(くにかかす)大神宮に赴いている。この大神宮は熊野街道から逸れるが、天照大神の御前霊をまつるこの社に、熊野御幸の途次、奉幣使を差遣するのが上皇たちのならわしになっていた。」


 建仁元年(1201)十月五日、京を進発。桂川から船で淀川を下り、現在の大阪天満橋の西方、渡辺の浜に着く。住吉、佐野を通り、雄ノ山峠を越えて紀ノ川べりにやって来る。先の長い熊野街道です。


 定家は田辺で、<夜、寒風枕を吹き、咳病忽ち発し、心神甚だ悩む。此宿所又以って荒々し>と書いているそうです。風邪気味の定家も岩田川を渡り、<河の深き処は股に及ぶも袴をかかげず>といった行程に疲労困憊し、ついには輿に乗せられ運ばれるはめになります。これからが険しい山道です。


 後白河上皇は熊野御幸を三十三度、後鳥羽上皇は二十八度も行っています。なんという情熱かと驚かされますが、随従する人たちの苦労にも思いやられます。



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