しのぶべき六月 [読書]
もうすぐ梅雨入りのようです。この季節になると伊東静雄の「水中花」という詩の一節を想いだします。彼は諫早の生まれで、大阪・旧制住吉中学で先生をしていました。教え子には小説家の庄野潤三や童謡「サッちゃん」の作詞でも知られる阪田寛夫がいます。
今歳(ことし)水無月のなどかくは美しき。
軒端(のきば)を見れば息吹のごとく
萌えいでにける釣しのぶ。
忍ぶべき昔はなくて
何をか吾の嘆きてあらむ。
六月の夜と昼のあはひに
万象のこれは自ら光る明るさの時刻(とき)。
彼の第一詩集『わがひとに与ふる哀歌』は口調はいいですが、意味のとりにくい、複雑な構造になっています。杉本秀太郎『近代日本詩人選 18 伊東静雄』(筑摩書房)は、これを明晰に読み解いており、詩の解読とはこんなふうにするのかと、驚嘆します。
庄野潤三『文学交遊録』(新潮社)には教師時代の伊東静雄の姿が生きいきと書かれています。そういえば『伊東静雄全集』の編者でもある作家・富士正晴の弟という先生と宴席で隣りあったことがあります。姉は野間宏の奥さんだそうです。庄野潤三の若い頃の話をうかがった記憶があります。
六月になると、いろんなことを思い出しますが、もうみんな遠い過去です。