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鎌倉のドラマ [雑感]

 なぜ源頼朝は、こんな狭い鎌倉に幕府をひらいたのか ?  先月、岡の上から鎌倉を俯瞰したとき疑問に思いました。


 家内が司馬遼太郎『街道をゆく 三浦半島記』(朝日文庫)を読んでいたので、聞いてみると、頼朝が挙兵して敗戦し、房総半島に逃れたとき、千葉介常胤という老人が三百騎をひきいて参陣したそうです。


 <常胤は、いつも居眠りしているような容貌のもちぬしだった。

 「相模に、鎌倉というところがあります。」

 と常胤がいったのは、この対面のときである。こんなところをうろうろしているよりも、早くそこをめざしなさい、三方山にかこまれた要害の地で、父君の義朝殿も、一時期、そこに居館をもたれたことがあります、などと語った。

 頼朝に、めざすべき目標の地ができた。>・・・ということだそうです。


 高校生のころ『義経』という大河ドラマをみました。尾上菊之助が義経で、藤純子が静御前、弁慶は緒形拳でした。記憶にありませんでしたが、頼朝は芥川比呂志で平清盛は辰巳柳太郎が演じたそうです。 残念ながら当時の映像は残っていないようです。


 鶴岡八幡宮で捕らえられた静が舞う場面は憶えています。 樹齢千年といわれた大銀杏は平成22年3月10日未明、雪まじりの強風に倒れたそうです。



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