そこはかとなく [読書]
所用で先週は関東へ出かけました。滋賀の伊吹山にはうっすらと雪が見えていましたが、富士山は頂上まで山容を現しているのに、雪はまったくありませんでした。さきほどの台風の影響のようです。
11 月になると、そろそろ紅葉の季節ですが、まだ、どこでもあまり見かけませんでした。そういえば中学生のころ、紅葉台というところから樹海ごしにみた初めての富士山はびっくりするほどみごとで印象に残っています。
このあいだから眺めている金田一春彦『ことばの歳時記』に、「神無月 風に紅葉の散る時は そこはかとなく物ぞかなしき」(藤原高光)という歌の意味について書いていました。
室町時代に日本に来たポルトガル人が作った日葡辞書をみると、Socofacato naqu の意味は「無限に」と書かれているそうです。だから「何となしにもの悲しい」よりも「かぎりなくもの悲しい」と訳した方がよくはないか。
また『徒然草』の冒頭、「心にうつり行くよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば」も「何となく書き付ける」というのではなくて「あとからあとから書き付ける」という意味かもしれないと言っています。 たしかに、その方があとの「あやしうこそものぐるほしけれ」とつながりがいいように感じます。
ことばも時代とともに、発音や意味が変化していて、それが化石のようにいろんな場所に残っているようです。