木枯らしの散歩 [徘徊/旅行]
日曜日の朝、一歩、外に出て風の冷たさに驚きました。週末に同窓会があって、神戸にでかけていました。
神戸は坂が多いので、歩きまわると少しは運動になります。合間に三宮駅の隣のビルでCDを物色し、センター街の淳久堂で本を眺めたりしました。最近は購買意欲がうすれているようで、何も買わずに出てきました。
会合で聞こえてきた話は、日本人はちょっとビルが傾いたくらいで騒ぎすぎる、某国にはそんなビルがいっぱいある、イタリアには傾いたのが値打ちのピサの斜塔すらある・・・とりとめのない笑い話です。 阪神淡路大震災で、わたしの兄は住むマンションが少し傾き、建て替えるかどうか住民の意見が分かれて苦労していました。
中華料理の匂いのただようあたりを通り抜け、ガード下をくぐり抜け、道に迷いながら、ひごろ使わない筋肉を鍛えました。木枯らしで、あちこちに落ち葉が吹きよせられていました。
ビスケットを食べて [雑感]
秋晴れの爽やかな天気が続いています。日暮れがめっきり早くなり、仕事を終えて帰るころには暗闇になっています。これから二月まで段々と気温が下がっていくのかと思うと、気分がひきしまります。
このあたりは南国なので、紅葉には恵まれません。杉や照葉樹が多く、桜の葉がまだらに色づいたり、銀杏の大樹が黄金色になるくらいです。それもまだまだ先のことです。そういえば、何年かまえ南禅寺のあたりの見事な手入れされた紅葉をみたのを想い出します。
秋もはや熱き紅茶とビスケット
てっきり正岡子規の句だと思っていましたが、高浜虚子でした。こどもの頃から、秋が深まってくるとふと、こころに浮かぶコピーのようなことばです。
京都とウィーン [雑感]
今朝の新聞には、与謝蕪村のゆくえの分からなくなっていた句集がみつかったという記事が出ていました。それを見てアレッと思ったのは蕪村の1716年という生年でした。
なんとなく蕪村といえば、正岡子規や萩原朔太郎に賞揚されたように、近代的な印象がありますが、1756年生まれのモーツァルトより40年も前のひとだったんだ・・と少し驚きました。
愁ひつつ岡にのぼれば花いばら (蕪村)
それにしてもユーラシアをはさんで、蕪村とモーツァルトが同じ時代を生きていたと思うと愉快です。
選択肢の多寡 [徘徊/旅行]
先週は集会があって品川へでかけてきました。話しを聞いていると、日頃の勉強不足に多々気付かされます。
品川は上野東京ラインが開通して、かっては直通で行けなかった場所へ便利につながっていました。数分ごとに色々な種類の電車がやって来るので、選択肢がひろがります。一日に数便しかバスのこない地方から出かけてくると、その格差の大きさに驚きます。多くのことで機会は均等ではありません。
昼食を食べようとしても、選択に迷いますが、結局はおむすびくらいになってしまうのは、身に付いてしまった習慣のようなもので、変えようがありません。選択肢が増えても、選ぶものは案外、決まったものなのかもしれません。
東京駅の前には、巨大な本屋さんがありますが、本が在りすぎて、あれもこれもと思いますが、ただ茫然と眺めるだけで、疲れ果てます。こじんまりとした店のほうが買いやすいようです。
詩人の仕事 [読書]
十月になりました。明日にかけて低気圧が通過してゆくそうです。窓の外で風がうなっています。今は本屋で目にした岩阪恵子『わたしの木下杢太郎』(講談社)という本を読みはじめています。
木下杢太郎は北原白秋と同じころの詩人です。本名は太田正雄といい、皮膚科医でもあり、「太田母斑」という病名に名を残しています。また、晩年、植物図譜を描き続け、岩波文庫の『新編 百花譜百選』でその繊細な絵をたのしむことができます。
著者の岩阪恵子は小説家で、以前に『淀川にちかい町から』という本を読んだことがあります。また、詩人・清岡卓行の奥さんでもありました。
清岡卓行は『アカシヤの大連』などの小説も書いていますが、詩人として鮮烈です。中年まで、プロ野球のセ・リーグ事務局に務めていましたが、「猛打賞」の発案者だそうです。
書店の棚で、こんな名前の連なった新刊本が目にとまれば、買わないわけにはゆきません。