個人的な感想 [読書]
去年の秋、学生時代に買ったまま未読だった大江健三郎『洪水はわが魂に及び』を取り出して読み始めたのですが、四分の一ほど読んで止めました。物語の世界に入り込めなくて、読むのが苦痛になりました。もしかしたら買った時も、途中まで読んで止めたのかもしれません。もう 50年も前のことです。
大江健三郎の小説は『奇妙な仕事』、『飼育』、『個人的な体験』などを読み、『万延元年のフットボール』(1967年)の世界に魅惑され、短篇集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969年)では話の作り方が上手だなと感心した憶えがあります。その流れで『洪水は・・・』(1973年)が出版された時に読もうとしたのでしょう。本箱には、その後に出た『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)も未読のまま立っています。大江健三郎とは 1970年代以降、気になりながらも疎遠になったようです。
1960年代末ごろ、評論家の江藤淳が「大江の小説はもう読まない」と言った記憶があります。当時、わたしは江藤淳の『成熟と喪失 ”母”の崩壊』(1967年)という評論に感服していたこともあり、大江の新作への違和感から、江藤淳に同感する気分だったように思います。その後、その江藤淳も鼻につくようになり、読まなくなりました。
では、1970年代は何を読んでいたのか・・・思い返せば、開高健とか司馬遼太郎の随筆なんかが思い当たります。そういえば数年前、書店で目にした対談集*で、大江健三郎は開高健について、「話をするとあれだけ面白いのに、物語が作れなかった」というふうなことをしゃべっていました。なるほど、大江と開高との違いとも言えるなと納得した憶えがあります。
先日、大江健三郎が 88歳で老衰で亡くなったという記事をみて、思い出したことを書いてみました。わたしにとって、大江健三郎は、やはり『万延元年のフットボール』が一番かなと思案します。
*大江健三郎・古井由吉『文学の淵を渡る』(新潮社)
2023-03-21 13:05
nice!(26)
コメント(6)
私もその時々で読みたい作家は
変わったと思います。
最近は読まなくなりました。
by yoko-minato (2023-03-21 15:34)
yoko-minatoさん、同時代の作家は、自分の成長と
作家の成長が並行したり、交差したりしますね。今は
もう新作を楽しみにする作家は少なくなってしまいました。
by 爛漫亭 (2023-03-21 16:23)
その対談の評は開高健が亡くなった後のもののようですね(@_@;)
「死者の奢り」と「裸の王様」が芥川賞を争ったのを連想(^_^;)
by middrinn (2023-03-21 17:35)
middrinnさん、開高健と大江健三郎の対談はないのか
と思って、開高の対談集をみたのですが、見つかりません
でした。有れば面白そうなんですが。
by 爛漫亭 (2023-03-21 19:08)
大江健三郎さん亡くなりましたね。
また一つの時代の象徴が消えていった気がします。
70年代を中心いくつか読んでいるはずですが
覚えているのは「死者の奢り」くらいでしょうか。
ただ、江藤淳よりは私は大江健三郎にくみしたいですね。
by そらへい (2023-03-21 20:40)
そらへいさん、1960年頃、「若い日本の会」という
のがあって、大江健三郎、江藤淳、石原慎太郎などが
一緒に行動していたそうですね。そこから、その後、
各人がそれぞれの方向へ分かれていったことになります。
そういう時代があっての決別ですね。
by 爛漫亭 (2023-03-21 21:15)