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マンボウになるまで [読書]

 北杜夫といえば「どくとるマンボウ」シリーズがよく知られていますが、大学生のころ父親の看病をしながら、『楡家の人びと』を読んだ憶えがあります。夜中に「背中をさすれ」などと何回も起こされ、看病は一晩で根をあげましたが、小説はおもしろくて読みふけりました。


 その後、5年ほどして『木精』という回想記のようなものを読み、20年ほど経って父親・斎藤茂吉の評伝・四部作を読みました。また、確か大学生のころ、北杜夫が当地へ講演に来たことがありました。楽しみに聞きに出かけましたが、彼は登壇して何かぼそぼそと喋ったかとおもうと、そのまま引っ込んでしまい、それでおしまいで、唖然とした記憶があります。


 わたしは北杜夫(1927-2011)の愛読者というわけではありませんが、若いころ友人が彼の『幽霊』がいいと言っていたのが頭に残っていたので、先日、読んでみました。「ある幼年と青春の物語」という副題がついていました。著者が 23-4歳の頃の最初の長篇小説で、昭和 29年に自費出版しています。昭和 35年になって中央公論社から刊行されました。


 < 人はなぜ追憶を語るのだろうか。/どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。ーーーーだが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。 >


 ういういしく抒情的な書き出しです。現在の自分を育ててきた心に残る事柄を見つめなおしてみようという思いが語られています。作家としての出発点に立っている雰囲気が感じられます。


 < 広い原っぱを、雑草の生い茂ったなかを歩いていた。どの草も異様に背が高く、手足にふれてこぼれおちる露も酸漿(ほおずき)くらいの大きさに感じられた。靄がかかっていて、空の光は夢像のようにぼんやりしていた。(後略) > 幼児期の原っぱの記憶です。夢を思い出そうとしているような筆致です。


 < そのうちに、僕はふと上を見あげた。僕の背後におおきな樹木があり、その枝がちょうど僕の頭上におおいかぶさっていた。枝葉の隙間から斑らにこぼれおちてくる日光に気をとられた僕は、しばらくのあいだそのまま仰向いていたのだ。それはあたかもなにかの啓示のようであった。なぜなら、次の瞬間、くらい枝葉の繁みのあたりから、キラキラする、ちいさなまばゆい物体が僕の目の前にとびおりてきたからだ。(後略)> 少年期の蝶々との出会いの場面です。少年は昆虫採集にのめりこむようになります。


 少年には手品に凝っている叔父さんがいた。< 「ほうれ、見ろ」と彼は言い、ものものしい身ぶりと共にさっと腰をひねると、もう彼は何色もの色つきハンカチを手にして得意げにうちふってみせるのだった。 > 親とは違う大人の存在が少年の視界を拡げます。誰にとっても後から思えば、そんな大人が成長の触媒になっていたことに気づくかも知れません。


 少年は信州の学校に進み、青年となっていきます。 < その当時ーーー破滅にちかい戦局のさなかにひとり信州にきて間もなく、終戦から食糧難の秋冬にかけて、ずっと僕は<病気>であった。(中略)ようやく青年期にはいろうとする僕をおそったこの不安定な症状は、純粋に精神の病いと呼んでよかったろう。 > 彼は虚ろな心で重い足をひこずって、夜の街を歩きさまよう・・・。


 < とある街角で僕は足をとめた。背すじを、ほとんど痛みにちかい慄えが走りすぎたのである。僕は耳を傾けて、ごく微かながらも一軒の家のなかから流れてくる旋律を聴いた。> それは「牧神の午後への前奏曲」との再会いで、それは心の眩暈のように彼を捉え、夢のような光景へと誘う。


 <・・・一匹の綺麗なタテハチョウが、ひとしきり僕の頭上を飛びまわっていたが、やがて苔むした木株のうえに羽を休めた。静かに息づくように翅を開閉させると、濃紺の地に隠されていた瑠璃いろの紋が燐光のように燃えたった。僕は憶いだした。たしかその蝶はずっと以前、はじめて僕が捕虫網を買ってもらった時分、山の道ばたで見つけた魔法の蝶にちがいなかった。 > 精神の回復の過程がつずられています。


 < 太陽はめくるめく輝きを収め、島々谷の左方の稜線にかかっている。立ちならぶアルプスの尾根尾根の立体感はうすらぎ、平面的に夢幻的に、きびしさを消しさった表情にかわりはじめた。(中略)大地の静寂のなかに、僕は自分のたましいに呼びかける山霊のこえを聴いたように思った。そして、稚い肉体にしばしばおとずれる圧倒的な憧憬におののきながら、憑かれたようにこう心に語りかけた。/『僕はこの世の誰よりも<自然>と関係のふかい人間だ。僕は自然からうまれてきた人間だ。僕はけっして自然を忘れてはならない人間なのだ』> こうしてーーある幼年と青春の物語ーーは終焉へと向かいます。


 著者の成長と脱皮の物語です。50年ほどまえ、友人が『幽霊』がいいと言っていた時、彼自身が脱皮の季節にあったのだろうと思い返します。人は青年のある時、みずからの来し方を眺め、何らかの決着をつけて、大人になっていくのでしょう。


「カロッサは振り返る」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2022-01-21


幽霊 ある幼年と青年の物語

幽霊 ある幼年と青春の物語

  • 作者: 北杜夫
  • 出版社: 中央公論社
  • メディア: 単行本



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middrinn

「私は講演が嫌いだ。それなのに、ここに連れて来られた。顔だけを見せてくれ、と
言われたから、顔だけ見せます。一時間ここに座っているから、よく見てくれ」と、
講演会で川端康成はいきなり言って黙り込んだ逸話を、前坂俊之『ニッポン奇人伝』
(現代教養文庫,1996)が紹介してますけど、北杜夫も昔の文士という感じ(^_^;)
by middrinn (2022-09-21 18:56) 

爛漫亭

 middrinnさん、北杜夫は気分の循環があったよう
ですから、講演依頼を引き受けたときと、講演日と
では、まったく状況が違ったのかも知れませんね。
一時間黙っているとは、さすが川端康成ですね。
by 爛漫亭 (2022-09-21 20:14) 

そらへい

北杜夫、何を読んだのか思い出せません。
何か読んでいるはずなのですが。
それにしても、
>< 人はなぜ追憶を語るのだろうか。
からの一文は、23.4歳の青年が書いた文章に思えません。
文学的に早熟だったのでしょうね。
by そらへい (2022-09-21 20:46) 

爛漫亭

 そらへいさん、年を重ねるにつれて、余計に過去が
想われますね。いろんな想いを飼いならしながら暮らし
ているようなものです。
by 爛漫亭 (2022-09-21 21:05) 

enosan

ブログ再開しました、今まで同様よろしくお願いします。
by enosan (2022-09-26 08:30) 

okkun

 高校生の時木霊を読みました.II期ですべりこんだ信州の大学には,松本高校時代の北杜夫に教えた先生がまだ最後の時代でおられ,習いました.松本自体,今のようなどこにでもある中都市ではなく,個性のあるかけがえのない街でした.懐かしいです.
by okkun (2022-09-26 21:18) 

爛漫亭

 okkunさん、松本はいい街ですね。前に穂高、後ろに
美ヶ原がひかえ、城下町の雰囲気も残っていて。北杜夫も
山登りをしていたようです。わたしも松本には思い出があ
ります。
by 爛漫亭 (2022-09-26 22:14) 

middrinn

同書によると、〈・・・/川端は時々、時計を見ながら、「一時間というのは
長いですね」「今日はいいお天気ですね」とつぶやく。/作家の陳舜臣の話で
ある。陳はこの講演を聞きに行けなかったが、聞きに行った友人はこれで逆に
感激した、という。/〉由、何に「感激」するか分からないものですね(^_^;)
by middrinn (2022-09-27 14:30) 

爛漫亭

 middrinnさん、聴衆は黙って一時間座っていたの
でしょうかね? みんな帰ってしまって、川端康成が
ひとり残されたとしたら、それも面白いですが・・・。
by 爛漫亭 (2022-09-27 15:51) 

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