本棚で待っている本 [読書]
長年、日曜日には毎日新聞の「今週の本棚」という書評欄を楽しみにしていますが、最近は読んでみようという本に出会う頻度が少なくなっています。私の興味が時代と合わなくなっているのかもしれません。つい、本箱を眺め、若い頃に買って、読まないままになっている本に手が伸びてしまいます。
活字中毒という言葉があります。何か読むものが無いと、手持ち無沙汰で落ち着かない、何も読まないで寝てしまうと、一日が無駄に過ぎてしまった気がして不安になる。とりあえず何か読物が手元にあると安心する。活字依存とも言えるでしょう。
読むものは興味をそそられる事柄が扱われているにこしたことはありません。また、興味を抱かせるかどうかは書き手の力量にもより、それにより興味はいろんな方面に誘われます。
中毒というからには、「活字」に"あたった"わけで、その時の読書の快感が身についてしまって、また快感を感じたいと活字を追い求める結果となったのでしょう。
依存という面では、「活字」に寄りかかって暮らす結果、事に当たって「誰それによれば・・・」とか「何々にはこう書いて・・・」とかと、つい思い浮かべてしまう症状が見られます。現実を直に自分の手足で生きる力が損なわれやすくなります。
そんなことを考えても、もう手遅れに違いなく、一冊読み終われば、やはり、次に何を読もうかと、本箱の奥を眺めてしまいます。
先日読んだサロイヤン『人間喜劇』の隣に、カレル・チャペック『ひとつのポケットから出た話』がありました。奥付の記載を見ると、この2冊は1977年3月9日に大阪・梅田の紀伊國屋書店で一緒に買っていました。ともに晶文社「文学のおくりもの」シリーズのものです。帰りの電車内で拾い読みした記憶が蘇りましたが、帰宅後は本箱に立てたままになっていました。
チャペック(1890-1938)はチェコの生まれで、カフカの7歳下です。「ロボット」という言葉を作った人といわれています。この短篇集には女占師とか透視術師、筆蹟占師など怪しげな人物がよく出てきます。たわいもない話、ちょっと皮肉な話、ありそうな話など、ひとつの話が 10ページほどで、1日1話、朝食後の腹ごなしに丁度いい読物です。
#「短篇小説のための手引き書」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2020-07-21
書物あるいは読書について、色々とインスパイアされる玉稿ですねぇ(^^)
「誰々がこう書いてる」と反応しちゃう依存症ですが、たいていのことは
先人が書いてるわけで、知ったかぶり的自慢もありますが、謙虚さのなせる
業でも(^_^;) 中公文庫の目録を愛読してたので園芸家のイメージ(^_^;)
by middrinn (2022-06-22 18:05)
30年もすると教科書の記述すら変更される
のはmiddrinnさん、どんな分野でも経験される
ことですね。先人の説にとらわれないところから、
思いもしない新発見がでてきますね。先人の業績を
尊重しなければならないし、また、それに囚われても
目が曇ってしまいます。難しいですね。
短篇の第2話は園芸家らしく「青い菊の花」という
ものです。
by 爛漫亭 (2022-06-22 19:41)
PCで字を読むと目が痛くなることがあるので、PCの活字依存症に
はならないかも。でも、現代のお子様たちは、スマホでの活字
依存症になったりするのかも。
by tai-yama (2022-06-22 23:22)
tai-yamaさん、小学1年生がタブレットを使って
いるのを見ると、時代が変わったなぁと実感します。
検索依存になるのでしょうかね。
by 爛漫亭 (2022-06-23 08:51)
ずっと本とともに生きて来た気がします。
あるとき、全然読めない事があり、そのまま時を過ごしましたが
急にまた読みたくなって、それからはまた本との日々です。
何か辛いことがあったりすると、読書で癒やされる気がします。
内容より、読むという行為に。
本を読めない日があると、何か忘れ物をしたような気がします。
最近は、読んだ本のノートを付けるようにしています。
by そらへい (2022-06-23 20:08)
そらへいさんも中毒症状があるようですね。
お気に入りの著者の本が手元にあると安心で
すね。友人にはめったに会えませんが、本は
いつでも読めます。
by 爛漫亭 (2022-06-23 21:59)