詩人の伝記 [読書]
同業者が同業者のことを書くというのは、それなりに難しい面があるのでしょう。室生犀星は『我が愛する詩人の伝記』で高村光太郎の項を書き始めるについて、< 高村光太郎の伝記を書くことは、私にとって不倖な執筆の時間を続けることで、なかなかペンはすすまない、高村自身にとっても私のような男に身辺のことを書かれることは、相当不愉快なことであろう。 > と書き出しています。
犀星は昭和 33年(1958)、69歳の時、「婦人公論」に「我が愛する詩人の伝記」を連載し始めています。第1回は北原白秋について。高村光太郎は第2回です(光太郎は2年前に他界していました)。
< 私は高村にかなわないものを感じていた。年少なかれが早くも当時の立派な雑誌『スバル』の毎号の執筆者であることは、私の嫉みのもとであった。 > 光太郎は犀星より6歳年上でした。
田端で下宿生活をしていた犀星の散歩区域に光太郎のアトリエがありました。犀星は光太郎と知り合いになりたくて、そのアトリエを訪ねます。
< 私はある日二段ばかり登ったかれの玄関の扉の前に立ったが、右側に郵便局の窓口のような方一尺のコマドのあるのを知り、そこにある釦を押すと呼鈴が奥の方で鳴るしかけになっていた。(中略)私はコマドの前に立っていた。(中略)コマド一杯にあるひとつの女の顔が、いままで見た世間の女とはまるで異なった気取りと冷淡と、も一つくっ付けると不意のこの訪問者の風体容貌を瞬間に見破った動かない、バカにしている眼付きに私は出会ったのである。 > それは智恵子夫人でした。
< 光太郎は私とは因縁も文学関係もない男だったが、会わないことはないだろうと思った。 > が、一旦、奥に行った彼女は戻って来て「たかむらはいまるすでございます。」と含み声で言った。
< 「あなたはだんだんきれいになる」という詩に、(をんなが附属品をだんだん棄てると、どうしてこんなにきれいになるのか。年であらはれたあなたのからだは、無辺際を飛ぶ天の金属。見えも外聞もてんで歯のたたない、中身ばかりの清冽な生きものが、生きて動いてさつさと意慾する。をんながをんなを取りもどすのは、かうした世紀の修業によるのか。あなたが黙つて立つてゐると、まことに神の造りしものだ。時々内心おどろくほどあなたはだんだんきれいになる。) > と光太郎が記しているのを、犀星は、< かれは彫刻にはゆかずに詩というもの> で物語っていると解説しています。
< 一人の人間にはいやなところばかりを見せ、別の一人の人間にはいいところばかりを見せていた智恵子は、光太郎には愛する名の神であった。私が尊敬出来ないような智恵子にとっては、私それ自身は彼女に一疋の昆虫にも値しなかった。吹けば飛ぶような青書生の訪問者なぞもんだいではないのだ。それでいいのだ、女の人が生き抜くときには選ばれた一人の男が名の神であって、あとは塵あくたの類であっていいのである。 >
「値(あ)ひがたき智恵子」 高村光太郎
智恵子は見えないものを見、
聞えないものを聞く。
智恵子は行けないところへ行き、
出来ないことを為る。
智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、
わたしのうしろのわたしに焦がれる。
智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
限りない荒漠の意識圏にさまよひ出た。
わたしをよぶ声をしきりにきくが、
智恵子はもう人間界の切符を持たない。
犀星は光太郎について書くほどに、< 私は人の生き方のまじめさ、性質にある善意識の透明さを、ずっと昔に感じたそれを、いままた残念ながら魅せられ新しくされた。 > と記しています。
犀星はこのあと、萩原朔太郎、釈迢空、堀辰雄、立原道造など12名の伝記を書き続けています。それぞれに味わい深く、楽しめます。
詩人が、詩人のことを、しかも同時代の人のことを
書くというのは難しかったでしょうね。
正直に妬みを吐露しているところなどは
面白いし、知恵子のことなども実体験を添えているところなどは
同時代でしかかけないところではあります。
by そらへい (2022-03-15 20:25)
そらへいさん、光太郎と犀星の立ち位置の違い、
かの智恵子の実像、光太郎の特異性など犀星の描写が
冴えています。三人ともやはり偉大ですね。
by 爛漫亭 (2022-03-15 21:05)