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芭蕉の手紙 [読書]

 9月になり日暮れが早くなりました。ランドセル姿のこどもたちが家の前の道を通っています。夏休みも終わりです。


 季節が変わりだしていますが、ここ1年近く何処にも出かけていません。8月にあった兄の法事も緊急事態宣言下で欠席しました。どこまで続くぬかるみぞ・・という気分です。


 生活は午前中に少し体操をし、本を読みます。午後には朗読と音楽を聴き、ときに散歩をします。単純な暮らしです。


 手元にあった松尾芭蕉の文集*を見ていると、芭蕉が曾良に宛てた手紙が出ていました。奥の細道の旅で同行した5年後の、元禄7年のものです。芭蕉は5月11日に江戸を立ち、東海道を西上しました。曾良は箱根山麓まで見送ったようです。


<・・・箱根山のぼり、雨しきりになり候て、一里ほど過ぎ候へば、少し小降りになり候あひだ、畑[宿場]まで参り、小揚[人夫]に荷を持たせ候て、宿(しゅく)まで歩行いたし候て、下り、三島まで駕籠かり、三島に泊まり候。十五日の晩がた、島田いまだ暮れ果てず候あひだ、すぐに川[大井川]を越え申すべくやと存じ候へども、松平淡路殿[阿波藩主]金谷[対岸の宿場]に御泊り、宿も不自由にあるべくと、孫兵衞[川庄屋・俳人]かた訪れ候へば、是非ともにと留め候。(後略)>

IMG_2063.jpeg

  (2019年7月 島田宿跡の大井川)


 江戸時代の東海道のようすが偲ばれます。曾良も小田原過ぎまで見送りに来るとは、現在とは感覚が異なっています。しかし、これが二人の別れとなります。


 芭蕉は9月になって大坂で悪寒、発熱、次いで下痢が続き 10月12日に他界します。29歳で郷里・伊賀上野から江戸に出て、51歳の帰郷でした。かけめぐった一生だったのでしょう。


  旅人とわが名呼ばれん初しぐれ


 *『新潮日本古典集成 芭蕉文集 富山奏 校注』(新潮社)



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コメント 8

middrinn

都の人々は旅に出る人を逢坂関まで見送りに行ってたようですけど、古典に詳しい芭蕉
の弟子ですから、関送りとして箱根山麓まで師を見送りに行ったのでしょうか(@_@;)
by middrinn (2021-09-03 13:41) 

爛漫亭

 奥の細道の時は、船で千住まで見送った
ようですが、小田原までは遠いですね。
曾良という人も不思議な人物です。
by 爛漫亭 (2021-09-03 16:03) 

tai-yama

芭蕉は最期まで旅人だったと・・・・。私も多分(笑)。
by tai-yama (2021-09-04 19:03) 

爛漫亭

 「門を出ずれば我も行人秋の暮れ」ですね。
tai-yamaさん、夢は枯野をかけめぐる・・・
by 爛漫亭 (2021-09-04 20:26) 

U3

月日は百態の価格にして、、ってまったく以てまともに変換してくれないバカATOK
by U3 (2021-09-07 18:55) 

そらへい

「旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡る」
若い時は、最高の生き方だと憧れました。
誰にも出来ることではないですね。
by そらへい (2021-09-07 20:10) 

爛漫亭

 いつの間にかPCが無いと、まったく漢字が
書けなくなっています。U3さん、わたしの頭も
困ったものです。
by 爛漫亭 (2021-09-08 09:18) 

爛漫亭

 そらへいさん、枯野を駆け巡った時代の
ジャズの紹介を続けてくださいね。
by 爛漫亭 (2021-09-08 09:23) 

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