魚の泪 [読書]
松尾芭蕉が『奥の細道』の旅に出立したのは、元禄2年(1689)3月のことですが、<千住といふところにて舟をあがれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。>
行く春や鳥啼き魚の目は泪
と旅は始まってゆくのですが、以前から「魚の目は泪」というのは何か変だなと、こころに引っ掛かっていました。魚は泪を流すのか? たとえとしても少し突飛ではないか・・・。
先日来、丸谷才一『新々百人一首』(新潮社)という本を取り出して眺めていると、
雪のうちに春はきにけりうぐひすの
氷れる泪いまやとくらむ (二条后)
という古今集の歌をとりあげ、類歌を挙げて詳述していました。<鶯の泪が氷りかつ溶けるといふ詩的虚構がある。この優美な嘘、典雅な法螺話(ほらばなし)こそは一首の眼目であつた。> と書かれており、また、和歌の世界では泪を流すのはウグイスのみではないようで、
かへる雁の夜半の泪や置きつらん
桜つゆけき春のあけぼの (後鳥羽院)
昔おもふ草の庵のよるの雨に
泪なそへそ山ほととぎす (藤原俊成)
そして獣も・・・
秋萩にみだるるつゆはなく鹿の
声よりおつる泪なりけり (紀貫之)
さらには虫までも・・・
秋の野の草むらごとにおく露は
よるなく虫のなみだなるべし (曾禰好忠)
秋ちかきけしきの森になく蟬の
泪のつゆや下葉そむらん (藤原良経)
という風に、いろんなものが泪を流しているそうです。そこで『奥の細道』です。行く春を惜しみ、また前途三千里、見送る人との別れの時、鳥は啼き、そして魚が泪を流す。芭蕉は王朝和歌の伝統を踏まえ、かつ「魚の泪」とすることで俳諧的にひねっている、という主旨のことを丸谷才一は書いています。なるほどと膝を打つ思いです。
この句で他に、少し気になるのは、芭蕉の支援者で、深川の芭蕉庵の持ち主でもあった杉風という人が魚問屋の主人であることです。「魚の目は泪」には杉風への挨拶という側面もあるのかなと感じられます。
詩歌はことばの遊びでもあり、こころの表現でもあり、他人への挨拶でもあり、重層的な構造を持っています。すぐれた評釈は詩歌の豊かな世界を照らし出してくれます。
陽暦でいえば5月16日に江戸を出立した芭蕉は、今頃、8月上旬は秋田県にいます。<快晴。早朝、橋迄行、鳥海山ノ晴嵐ヲ見ル。飯終テ立。アイ風吹テ山海快。暮ニ及テ、酒田ニ着。> と同行した曾良は旅日記に記しています(8月3日)。この日の旅程は46Kmでした。よく熱中症にならないものです。*
*金森敦子『芭蕉はどんな旅をしたのか「奥の細道」の経済・関所・景観』(晶文社)
コメント 0