SSブログ

サンマの歌 [食物]

 今年もサンマは不漁のようです。末広恭雄『魚の履歴書』(講談社)を見てみると、サンマは北緯20度-55度の北太平洋にだけ生息しているようです。8月の頃には北海道から千島近海でたむろしているが、9月に入ると、産卵のために群れをなして北海道の南海岸近くを通過し、青森、宮城、千葉・・・と本州の太平洋岸近くを南下するのだそうです。


 サンマは光に集まる性質が特に強く、<真暗な海上を進みながら、船の前部の探照灯で明るい光をさっと投げる。光が群れに当ると、びっくりしたサンマたちが一メートルも盛り上がる。三〇センチもあるサンマが何百もひっきりなしにはね上がり、光に反射して噴水のような美しさだ > そうです。


 『和漢三才図絵』の 49巻には「伊賀大和土民は好んでこれを食べるが、魚中の下品である」と書いてあるそうですが、落語で将軍が賛嘆する「目黒のさんま」はよく知られています。昭和29年1月25日の毎日新聞には、中目黒2丁目802番地に、将軍家光にサンマを供した茶屋の爺さんの十一代目が実在しているとの記事があるそうです。


    「秋刀魚の歌」 (佐藤春夫)

  あはれ

  秋風よ

  情(こころ)あらば伝へてよ

  —— 男ありて

  今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり

  さんまを食(くら)ひて

  思ひにふける と。

    (後略)


 たしか JR紀伊勝浦駅で、この詩碑を見た記憶があるのですが、もう 45年ほどまえなので確かではありません。 <さんま、さんま、/さんま苦いか塩つぱいか。/そが上に熱き涙をしたたらせて/さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。/あはれ/げにそは問はまほしくをかし。> と結ばれています。


 サンマも紀伊半島までくると脂が抜けて、鮨にほどよくなるそうです。佐藤春夫の出生地・新宮にはサンマの馴れ鮓(なれずし)という発酵食品があって、三十年物というのが食べられるそうです。わたしは、さんま苦いか塩っぱいか・・・と想像するだけです。




魚の履歴書 (上)

魚の履歴書 (上)

  • 作者: 末広 恭雄
  • 出版社: 講談社
  • 発売日: 1983/8/15
  • メディア: 単行本

nice!(19)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 19

コメント 2

さっかん

新宮、勝浦での10年間で、いったいどれだけの秋刀魚を食べたのだろう。串本出身の看護師が自分の体の半分以上は秋刀魚でできていると言った言葉をほんとうにそうかもしれないと思ったほど、日常的な魚だったのに。秋刀魚、そのまま焼いて大根おろしと酢橘。丸干しや開き。姿寿司。鮪か秋刀魚か、食べ物の想像が頭の中を駆け回ります。
by さっかん (2020-09-22 19:31) 

爛漫亭

 わたしの子供のころはサンマとは
よばず、「さいら」と言っていました。
大抵は開いた干物で、どういう訳かゴマ
が振ってありました。生のサンマが食べ
られるようになったのは流通事情が良く
なったからなんでしょう。
南ではサンマの刺身も売っていますね。
アニサキスが心配で食べたことはありませんが。
by 爛漫亭 (2020-09-22 21:48) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。