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萩の物語 [読書]

 3週間ほどまえの毎日新聞の書評欄に、詩人の荒川洋治が三浦哲郎の短篇集を取りあげたなかに、戦後日本の最上の短篇小説としてこんなのを挙げていました。


 中野重治「萩のもんかきや」

 佐多稲子「水」

 耕治人「一条の光」

 深沢七郎「おくま嘘歌」

 安岡章太郎「サアカスの馬」

 吉行淳之介「葛飾」

 三島由紀夫「橋づくし」

 田中小実昌「ポロポロ」

 色川武大「百」

 阿部昭「天使が見たもの」


 短篇小説はひとの好みがそれぞれで、勧められて読んでみても、どこが面白いのかさっぱり分からないことがあります。「萩のもんかきや」はどんな話かなと興味がわいて、本箱を探してみると、岩波文庫『日本近代短篇小説選 昭和篇3』に入っていました。昭和31年10月に発表されたものだそうです。わたしが小学2年生のときです。


 荒川洋治はわたしと同年代のはずですから、時代感覚は似たものだろうと思い、どんなものを最上と感じるのかにも興味がありました。


 萩といえば、わたしも去年の秋に下関へ出かけた帰りに立ち寄りました。オレンジ色の石州瓦の村落をいくつも通り過ぎて、地の果てかと思われる、ひっそりと閉ざされたような町でした。そんな中に夏みかんの成る武家屋敷があり、高杉晋作の生家とか、少し離れて松下村塾などが点在していました。


IMG_2090.jpg


   中野重治の「萩のもんかきや」のなかにはこんな場面が出てきます。萩の町を散策していた主人公がふと見かけた菓子屋に入る。 < 私は甘いものが好きだったのだ。なかでも、くだものの砂糖漬というのが好きだった。くだものでなくてもいい。蕗(ふき)のでもいい。いちじくはなおいい。しかし夏蜜柑とか三宝柑とかいうのがよかった。黄に砂糖の白のからんだところがいい。私の頭に淡路の洲本(すもと)の記憶が浮かんできた。>


 主人公は思い出す。食料事情の悪くなった昭和15年、「私」は1歳半の子供をかかえ困っていた。子供の母親は夏以来警察へ引っぱられていた。<そのころは、だれかれ見さかいなしに警察が人を引っぱっていた。>


 子供の <母親は暮れが押しつまってやっと帰ってきた。そうやって十六年の春になった。そのとき淡路の洲本にいる友人から親子でやってこいと手紙がきた。こっちには米もある。卵もある。野菜もある。思いさま米の飯を食いにこい。>


 「私」たちは洲本にでかけた。<ある日港の方へまわって行くと、いかにも場末といったところの駄菓子屋に夏蜜柑の砂糖漬があるのを私がみつけた。> <私は買って帰って、こんなものを見つけたといって友人に自慢した。>


 <「へえ。そんなもの食うんかね。」/「食うさ。がつがつだよ・・・・・・」/「へえ。そんなんなら上等のがあるよ。おれんとこじゃ誰も好かんもんだから・・・・・・」/そういって、戸棚の奥から引きだしてきたのを見たとき私たちはうつけたように笑いだした。>


 そんな記憶がよみがえる。「私」は土産に買った夏蜜柑の砂糖漬を提げ、萩の町を「平安な、いくらかやくざな心地で」なお先(さ)きへ歩いていった。


 <そのとき私は妙なものを見つけた。/(中略)ただし、こっちを向いているとはいっても、女は、こっち向きに顔をうつむけている。おそろしく立派な鼻だけが見える。(中略)ひどくうつむいて、何か小さいものに取り組んでいる。(中略)/右手に細筆(ほそふで)をにぎっている。その穂がおそろしく細い。(中略)/見ていられないようなところがそこにあった。あんなふうににやっていれば、あの高い鼻はますます高くなって行くほかはないだろう、(後略)>


 そして「私」は「もんかきや」と書いた小さな板の看板を見る。<歩きだした私にもうひとつ表札のようなものが見えた。「もんかきや」の板の下に、たてに並べて打ちつけてある。/「戦死者の家」。>


 文庫本の説明では <気楽な旅行記の形式ながら、みずからの家族関係や半生をふりかえり、一軒の「紋書屋」の人生を想像するにいたる。> と要約されています。


 なるほどと思います。そしてまた、だれかに似ているな、「もんかきや」の女・・・と思います。そうだ・・・「東京物語」の原節子。映画は昭和28年公開です。あの頃は、時代的にこんな情景が身近で、こころに触れたのでしょう。しかし、戦後世代の荒川洋治にとって、この小説が切実なものとして感じられるというのは少し不思議な気もします。なにか個人的な思い出に結びつくのでしょうか。


 昨日からの台風10号が、萩のあたりを北上しています。被害が無ければよいがと、昨年見た萩の町なみを思いうかべます。


#「こころに残る短篇小説」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2019-06-24

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さっかん

実はどれも読んだことのない短編なので、この際読もうと思い、紀伊國屋書店のweb shopを覗きましたが、見つかったものはすべて国内限定でした。新書なども殆ど国内限定になっています。出版社の了解が得られないという様なことが書かれています。何故、電子書籍なのに、海外で読めないのだろうと思いつつ、読める本を探しながらの秋の夜長です。
by さっかん (2020-09-08 02:05) 

爛漫亭

 そちらは、もうすっかり秋なんでしょうね。
こちらは、これから台風シーズンです。
 小説は各人好みがいろいろですから、
勧められて読んでも、そんなにいいかなぁと
思うことのほうが多いようです。
 しかし、「誰が何を良いと思うのか」と
いうのは興味深いことです。
by 爛漫亭 (2020-09-08 10:15) 

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