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父親をめぐる冒険 [雑感]

  散歩の途中、久しぶりに、昔からの本屋さんに立ち寄ってみました。30分ほど店内を見てまわりましたが、これはと思う本がないので、困ったなと、何か文庫本でもと眺めましたが、結局、「文藝春秋」を買って出ました。


 小さな店で、さんざん見回ったすえ、何も買わないで店を出るのは何か気まずいものです。「文藝春秋」を買ったりしたのは、ほんとうにいつ以来だろう。


 目次を見ると「猫を棄てるー父親について語るときに僕の語ること」村上春樹というのがありました。どうも村上春樹が自分の家族歴を記載しているようです。彼も 70歳になって、父親の来歴を書く気になったのでしょう。


 彼の父親は大正 6年12月 1日、京都市左京区粟田口にある安養寺という浄土宗の寺の次男として生まれたそうです。18歳で光明寺に付属した西山専門学校へ入学し、僧侶の勉強をする。20歳で徴兵され、輜重兵という補給の任務について中国へ上陸する。


 彼は村上春樹に「自分の属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑した」と一度だけ語ったことがある。彼の属した第16師団は戦死率 96%という悲惨な結果になるが、彼は幸いその前に除隊になる。1944年10月、京都帝国大学文学科に入学する。


 戦後、結婚し、1949年1月、村上春樹が生まれ、彼は大学院をやめ、西宮市にある甲陽学院の国語教師になる。彼は毎朝、食前に小さな菩薩像に向かって長い時間、目を閉じて熱心にお経を唱えていたそうです。彼は俳句に関わり続け、「兵にして僧なり月に合掌す」というのが西山専門学校の俳句雑誌に載っていたそうです。


 子供の頃、村上春樹は父親と一緒に、西宮の映画館や甲子園球場へよく行ったそうです。しかし、成長につれて「僕と父親とのあいだの心理的な軋轢は次第に強く、明確なものになった」とのことで、職業作家になってからは絶縁に近い状態となり、「二十年以上まったく顔を合わせなかった」。


 九十歳を迎えた父親は糖尿病と癌になって、京都の西陣にある病院に入っていた。「父とようやく顔を合わせて話をしたのは、彼が亡くなる少し前のことだった。」村上春樹は六十歳近くになっていた。


 「そしてこうした文章を書けば書くほど、それを読み返せば読み返すほど、自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われることになる。」「この僕はひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子に過ぎない」


 散歩から帰って、水を飲み、ペラペラと「文藝春秋」を繰っていくと、汗がひきます。目次を見ると、他にも「文藝春秋にみる平成史」半藤一利というのもありました。しばらくは楽しめそうです。




 

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