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思い込みにはまる [読書]

 思い込みによって、とんでもない失敗をすることがあります。佐藤正午『小説の読み書き』(岩波新書)を読んでいると、こんな場面に遭遇します。


 幸田文『流れる』について書かれた部分ですが・・・


 < きんとんと云えば体裁がいいがいんぎんの煮豆 >という幸田文の物の言い方について、佐藤正午は「慇懃無礼の慇懃である。したがっていんぎんの煮豆とは、ていねいに煮込むだけ煮込んだ、うわべだけそれらしくつくろった、中身(味)のともなわないキントンという意味になる。」と書いてしまう。


 後になって読者から、「いんぎん」とは隠元豆のことですよ・・・と知らされ、ひたすら恥じ入ることになる。『日本国語大辞典』の当該ページをコピーして送ってくれたかたもあったそうで、それによると「いんげん(隠元)の変化した語、いんげんまめ(隠元豆)に同じ」とのこと。なんともやるせなく、狼狽し、赤面する場面です。


 こんなことは、誰にでも、何回かはあるものでしょう。わたしにも思い出すたびに、穴に入りたくなる、人生をやり直したくなる、絶望に近い憂鬱な気分になる事柄がいくつもあります。


 ひとから指摘されたり、あとで自分が気づいたりしただけでも、数々あるのに、気の毒に思われて指摘されなかったり、気づけなかった場合を推計すると、ただただ生きてゆくのがイヤになります。荘子や兼好法師もそんな気分に沈んだ時があったのだろうと思いやって、「いのちながければ・・・」とつぶやいてみます。





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