秋の夜長の一冊 [読書]
すこしずつ読んでいるので、三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』はまだ 100頁ほどしか進んでいませんが、やはり刺激に満ちたおもしろい本です。たとえば『梁塵秘抄』の歌謡
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそ動がるれ
・・・について、なんとなく童心讃歌と思ってしまいますが、大岡信『うたげと孤心』に引かれた小西甚一『梁塵秘抄考』を紹介し、 これは遊女が子供を眺めて謡ったものであろうとし、現代語にして「遊女になるために生まれてきたのだろうか、嫖客を迎えるために生まれてきたのだろうか、無心に遊ぶ子供の声を聞けば、我が身が切なくなってくる」ということになるとしています。 目からウロコの思いがします。
このあと西行と真言密教の関係の紹介へと及び、チョムスキーの「言語はコミュニケーションの手段ではない」という話に進展してゆきます。
「チョムスキーは言語使用のほとんどはじつは心の中で起こっているという。人はいつでも自分自身に語りかけている。自分と話さないようにするのは途方もない意志を要する、と。」「むろん言語はコミュニケーションにも使われている、とチョムスキーは語り続ける。だが、表情も仕草も衣裳もコミュニケーションに使われているのであり、言語はそのなかのひとつに過ぎない。」
まだ 450頁も残っていますが、興味深い話題が続きます。秋の夜長にうってつけの一冊です。
まどひきてさとりうべくもなかりつる心を知るは心なりけり(西行)
いつもありがとうございます。
ラストスパート中です。
by hatumi30331 (2018-10-23 22:42)