在りし日の歌 [読書]
今日はきのうと変わって、暖かそうな天気です。 岩波新書『中原中也』を書いた佐々木幹郎はむかし、よく現代詩手帖という雑誌で名前をみかけた詩人です。ねじめ正一、荒川洋治などの名もあったように思います。
2000年から『新編中原中也全集』(角川書店)が出たのですが、佐々木幹郎が編集責任者だったようです。この新書には1967年から大岡昇平らの編集ででた旧全集以降に見つかった資料や、新全集刊行後に出てきた中原の手紙なども紹介されています。
五十年ぶりに、その生涯や詩を再読すると、かえって自分が過ごしてきたこの間の歳月のことがよみがえります。いつのまにか中原中也は、わたしの子供たちよりも年下になっていました。それでも、いいなぁとあらためて感じる詩がいくつかあります。
言葉なき歌
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱の根のやうに仄かに淡い
決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女の眼のやうに遥を見遣つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい
それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない
さうすればそのうち喘ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいてゐた
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