上野の桜 [読書]
あと十日もすれば桜が咲くようですが、今日はときおり冷たい雨が降っていました。ぼつぼつ『福翁自伝』を読んでいると、いろいろおもしろい場面がでてきます。
文久三(1863)年六月十日、緒方洪庵が吐血し、諭吉は下谷の洪庵宅に駆けつけるが間に合わない。門人たちが集まって通夜となる。隣に村田蔵六(後に大村益次郎)がいたので諭吉が「この世の中に攘夷なんて丸で気違いの沙汰じゃないか」という。村田は大変な剣幕で「どこまでもやるのだ」と言い、以前とは様子が違う。諭吉は「村田は変だ、滅多なことを言うな、何をするか知れないから」と朋友に気を付けるようにいう。蘭学徒は開国派が一般的だったのでしょう。
明治元(1868)年五月十五日、上野戦争が始まる。「上野ではどんどん鉄砲を打っている、けれども上野と新銭座とは二里も離れていて、鉄砲玉の飛んで来る気遣いはないというので、丁度あのとき私は英書で経済の講釈をしていました。」ということです。「生徒らは面白がって梯子に登って屋根の上から見物する。」 新政府軍の指揮官は、あの大村益次郎だったはずです。福沢諭吉の真骨頂といった感じです。
もうすぐ上野の桜も咲くのでしょうね。以前、不忍池に行ったとき、この池の上を大砲玉が飛んでいったのかと上野の山を見上げたことがあります。
「・・・が、蔵六にすれば胸中、/(福沢のような軽薄才子に言って
きかせてもわからん)/とおもっていた。・・・」と当該「場面」を
司馬遼太郎『花神(上)』(新潮文庫,1976)は描いてますね(^_^;)
by middrinn (2021-05-30 17:02)
middrinnさん、面白いですね。事を起こすには
どこか変なくらいでなくては出来ないのでしょうね。
by 爛漫亭 (2021-05-30 20:29)