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うつりかわり [雑感]

 木下杢太郎 画『新編 百花譜百選』(岩波文庫)をながめていると、かはらなでしこ(河原撫子)の絵がありました。ピンクの花をつける野草です。こどもの頃には野原やあぜ道でよくみかけましたが、ながいこと野生のものは見た記憶がありません。十年ほどまえ、福井で道ばたに植えられているのをみました。白い花のものもありました。

 かってはどこにでもあったものが、いつのまにか無くなってしまう現象に、いろいろと出会うのは、それだけ長く生きてきたということなのでしょう。

 こどものころには、読み書きのできない大人がまわりに何人もいました。人形浄瑠璃のお師匠さんとか、子守りのおばあさんとか・・・キセルで煙草を喫っていたすがたを想い出します。となりのお婆さんは道端で立ったまま小用をしていました。

 秋の稲刈りのあとの田圃は少年野球のグラウンドでした。低学年から高学年まで群れて遊んでいました。いまは高齢者がグラウンド・ゴルフをしています。社会は変化し続けています。いろんな現象を眺めて、楽しんでいられるのは年いった者の特権です。

 #「居なくなったもの」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2015-06-15


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chonki

少し前には幼稚園の送迎バスというのがよく走っていました。今京都の町中で目立つのはデイサービスというのの送り迎えの車です。80歳は普通90も別に珍しくはない、100歳を超える人が何と5万人今年は6万人を超えたという話です。私のところにも98歳が一人92歳が二人います。まあそれなりに生きてはいるのですが・・・。こんなことは想定していなかったなぁ。
by chonki (2015-11-03 11:27) 

chonki

それからもう一つ、「きょうおんなたってするのがたまにきず」という古川柳があります。東海道中膝栗毛にも弥次喜多が驚く場面があったと記憶しています。私はさすがに見たことないけれど。
by chonki (2015-11-03 11:54) 

爛漫亭

 お母さんはお元気なようすで何よりです。
 わたしたちも、振り返ると長く生きてきたもんだと思います。1948年の67年前は1881年で明治14年ということになります。こどもの頃に、今のわたしたちの年格好だった人は明治初期生まれだったんですね・・・。
by 爛漫亭 (2015-11-03 19:49) 

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