夏の終わり [音楽]
きょうの鬼怒川の氾濫をみると、やはり今年もこんな災害がおこってしまったと、国土の容赦のない立地条件に暗澹たる気持ちになります。
『逝きし世の面影』(渡辺京二著)などをみると、このような条件のなかでも、むかしの人々は案外と楽天的にのんびりと生活していたようです。このような環境だからこそ恬淡とせざるをえなかったのかもしれません。
ヘルマン・ヘッセに「九月」という詩があります。リヒャルト・シュトラウスが1948年に曲を付け、他の三曲とあわせて他界後に『四つの最後の歌』として世に出ています。いろんなひとが歌っていますが、諦念と慰安と慈愛のまざったような曲調はうっとりと聴きいります。
「九月」
庭が悲しんでいる。
雨がひそやかに花の中に沈む。
夏がその終末に向かって、
静かに身ぶるいする。
葉が一つずつ黄金の雫となって、
高いアカシアの樹から下に落ちる。
夏は沈み行く庭の夢の中で、
驚き、疲れ、微笑する。
ばらのもとで今しばらく
夏はとどまり、平安を憧れる。
ゆるやかな夏は
大きな疲れた目を閉じる。
(門馬直美訳)
R. シュトラウスは長く生きてきて、最後に祖国の崩壊を見ることになります。彼にとっての「山河あり」の歌だったのかも知れません。
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