「赤蛙」の記憶 [読書]
ふと憶い出したのですが、高校生のころ島木健作の『赤蛙』という短篇が気にいって、同級生に勧めたりしていました。「『城の崎にて』よりいいよ」。 昭和三十年代は志賀直哉の小説がよく読まれていました。教科書にも定番のように載っていました。
なぜ島木健作だったのかは記憶にありません。ただ、今ではあまり知られていない作家ですが、当時は普通に文庫本で並んでいたと思います。
文庫本も案外、出入りが激しくて、知らないあいだに棚から消えてしまう作家はたくさんいます。さいわい青空文庫に『赤蛙』があって、久しぶりに読んでみました。
話しのすじは、おぼえていたのとは少し、違っていました。記憶はいつのまにか『城の崎にて』と混線してしまっていたのでしょう。しかし、五十年前にいいと思った感覚は、いまも変わりませんでした。
#「こころに残る短篇小説」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2019-06-24
一年の内で今頃が虫が一番たくさん出てくる時期で、毎週のように虫を見に出かけています。「赤蛙」も「城崎にて」もカエルやハチなどが出てきますが、書かれているのはそれら小動物の生活ではなく、それにことよせた作者自身の心情のようです。文学作品としては分かりますが、ちょっと違うなという感じがあります。私が興味を持つのは虫そのものの生態、なんかよくわからない自然といったものです。
by chonki (2015-06-27 09:56)
逆にいえば、小動物を介してヒトの自然が垣間見れればいいと思えるのでしょうかね。
はなしは変わりますが、隣人に聞いたところうでは、早朝、我が家の前を親子づれのイノシシが通っているそうです。お寺の裏山にすみかがあるようです。
by 爛漫亭 (2015-06-28 21:13)
山をうろうろしているとシカにはけっこう頻繁に、サルやカモシカには時に、そしてクマにはごくまれに遭遇しますが、イノシシにはまだ一度も出会ったことがありません。イノシシは一部の餌付けされているのを除けば夜行性だからと思っていました。人間にはそんな意図はないのに、野生の動物の生活に多大の、時としては致命的な影響を与えてしまっているようです。京都の北山では今森林の下草がなくなりやせたシカがうろうろしているのが目につきます。
by chonki (2015-06-29 15:52)